第15回IPPNW 配布(発言予定)原稿
◎日本の核問題と平和:最近の状況 松井 和夫
◎原爆症認定をめぐる集団訴訟への取り組み 向山 新
◎57年間、広大な米軍基地が占拠する沖縄から訴える 西銘 圭蔵
◎IPPNW総会発言原稿 小池 晃
◎長崎の隣接地域被爆者を中心とした被爆者救済対策について
----長崎での実態調査をふまえて---- 本田英雄
◎21世紀を安全と信頼の世紀に 池田信明
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日本の核問題と平和:最近の状況
核戦争に反対し、核兵器廃絶を求める医師・医学者のつどい
代表世話人 松井 和夫
以下は、パリでのIPPNW世界大会以降の日本での核と平和問題に関する概要と我々の立場および活動報告である。
NPT
2000年NPT再検討会議で核兵器国は「核兵器廃絶への明確な約束」など核廃絶に向けた多くの事項に合意した。日本政府はそれを受けた形で国連総会に2003年までのCTBT(包括的核実験禁止条約)早期発効促進を含む「核兵器の全面的廃絶への道程」を提案するなど、唯一の被爆国政府として核廃絶に積極的に取り組むとしている。このNPT合意事項を結実させるためには次回の2005年NPT再検討会議で核保有国に核廃絶への具体的プロセスを約束させる必要がある。そのためには合意事項を実現させるための各国政府の努力が重要で、実際どのような努力をしているか監視されなければいけない。
2000年再検討会議での合意事項の実現に向けた日本政府の努力はいかほどのものであるのだろうか?日本のNGOであるピースデポ(http://www.peacedepot.org)が「核軍縮:日本の成績表2000」(Evaluating
Implementation of the NPT(13+2)Steps:JAPAN'S REPORT CARD ON NUCLEAR
DISARMAMENT)を発表した。 この「成績表」は、核廃絶への合意事項に関して、その実現に向けての日本政府の努力を評価したものである(
graded the Japanese government's efforts towards nuclear weapons
abolition in a Report Card)。成績の評価はA(国際的な核軍縮に重要な貢献)からE(重要事項に取組まず)までの5段階。この成績表によると「不可逆性の原則」「保有核兵器の完全破棄の明確な約束」「ABM条約の維持強化とSTART過程の促進」「安全保障政策における核兵器の役割の減少」「究極的目標としての全面かつ完全軍縮」の5課題に関する日本政府の努力への評価は最低の「E」、「CTBT早期発効」等13課題で「D」、2課題が「C」、一課題のみが「B」であった。これが国内外で常々「唯一の被爆国政府として核廃絶に全力で取り組んで行く」と述べている日本政府の実績である。この評価は次回NPT再検討会議まで毎年発表される予定で、日本政府の今後の核廃絶に向けての努力を期待したい。
さらに、各国でも市民が自国政府の核廃絶への努力に関して同様の評価を行い、世界のNGOが連携し次回NPT再検討会議で核廃絶への具体的プロセスがスタートすることを心から望む。
アメリカはABM脱退、削減戦略核弾頭の貯蔵とその再搭載の可能性、CTBT無視、核先制使用と核実験再開のOptionへの固執、ミニニューク開発などこの再検討会議の「不可逆性の原則」や他の合意事項を完全に無視している。UKもUSAと共同で未臨界実験を強行し無視した。これらに関し日本政府は何ら抗議もせず、コメントする立場でないと述べた。
日本政府は「核の傘」の妄想にしがみつき、それを防衛政策の中央に位置付けている。再検討会議の合意事項を具体化させるためには、まず日本が速やかに米国の核抑止力から脱却する必要がある。
CTBT
2000年の国連総会に、日本政府は2003年までにCTBTが発効するようにという期限を切った核軍縮・不拡散のための具体的措置を盛り込んだ「核兵器の全面的廃絶への道程」と題する決議案を出し、採択された。日本政府の核廃絶に対する姿勢は今までの「究極的核廃絶」から少し前進したかもしれない。
小泉首相は昨年の広島の原爆犠牲者慰霊式典で「我が国としては、これまでも様々な機会を通じてCTBT発効のための努力を行ってまいりましたが、この会議が成功するよう努力するとともに、更にこれを契機として、一層、積極的に各国への働きかけを行うなど、我が国は、今後とも国際社会の先頭に立ち、核軍縮・核不拡散の取組を押し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります」と述べた。しかし、実際にしてきた東京の努力は各国に書簡を送る程度であり、それは「積極的な外交」とはほど遠い。
ブッシュ政権は米国議会でも、国際社会でもCTBTの死文化を計っている。しかし、20世紀の終わりに我々市民運動が手に入れたすばらしい果実を手放すと、世界が再び際限なき核競争と核爆発の脅威に曝されることだろう。今、CTBTを早期に発効させる運動がきわめて重要である。
みなさんも日本の小泉首相に国連で提案した内容に沿ってその姿勢を後退させずにCTBT早期発効へのイニシアチブを取るよう働きかけて欲しい。
ミサイル防衛とNPR
MDは核廃絶に繋がる防御的兵器システムではないことは明白である。このMDの対象はアジアでは中国であり北朝鮮である。もしこれが実施されれば北アジアの緊張は一挙に高まる。勿論、この計画は我々の当面の目標すなわち北アジアに非核地帯をという希望と両立するものではない。すでに、中国政府はMDを強行するなら核兵器を増強するといっている。このような状況にもかかわらず小泉首相は早い段階でMrブッシュにこの計画に対して理解すると表明した。
日本は、すでにTMDとして共同研究を開始していた。MrブッシュのMD構想は、NMDと一体化され地域に限局された防衛から広汎で攻撃的なものへと計画が本質的に変化したにもかかわらず「今後も共同研究を進める」としている。
日本が密接に関係したミサイルが、発射直後のブースト段階の核ミサイル、それはまだ誰も行き先を知らないが、それを打ち落とそうと発射される。明らかに防衛でなく攻撃である。この行為は戦争放棄をうたう日本憲法に明らかに違反する。それゆえに最近では国内の軍国主義的立場の政治家や学者はしきりに憲法改正を唱えている。アメリカからの改正の圧力も激しい。日本が憲法第9条を捨て去らない限りアジアでのMDの配備は困難だということを彼らは知っているから。このような状況下にあるので我々自身が、日本の素晴らしい戦争放棄憲法を守ること、そしてその戦争放棄憲法を世界中に広げることが極めて重要であることを深く認識し、それを声を大きく唱えなければならない。IPPNWの仲間も是非、このことを支持し共に唱えて欲しい
NPRも明らかにNPT合意に反している。しかし、日本政府は抗議すべき立場にあるが、抗議しようとしない。
北アジア非核地帯
北アジアを非核地帯にすることは緊急かつ実現可能な課題である。日本政府は一般論としては非核地帯の設立を支持してきた。中央アジア非核地帯化に向けても比較的に積極的であった。アフガニスタンの軍事情勢が変わったので、日本政府が今後も積極的にその実現に向けて努力するかどうか見守る必要がある。
そして、日本政府は、自らが核の傘の下にあるので消極的だが、自らの安全保障のために、北朝鮮と外交関係を樹立し、北アジアに非核地帯を設立するための対話を進めることが地域の緊張緩和に必須である。
さらに、日本の非核化を明確にするためには非核三原則(核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず)の法制化と検証制度を確立することも重要な課題である。しかし政府はそれらにまったく背を向けている。
在外被爆者の問題
広島・長崎で被曝した人への代償として1994年に被爆者援護法ができ、手当と医療費が支給されることになっている。しかし、その法律は「国内居住者と滞在者」に限って運用されている。つまり、日本を離れると支給は打ち切られるという理不尽なことが行われている。朝鮮半島を中心に5000人いると推定される在外被爆者は差別され、その不当性について日本政府を訴えていた。昨年6月に、大阪地裁が判決で在外被爆者が被爆者援護法が適応されないことは「人道的な見地から被爆者の救済を図ることを目的とした法の趣旨に反する」と指摘した。しかし、国は、原告の郭貴勲(クァククィフン)さんや多くの市民の声を無視し、上告した。
約5000人の在外被爆者の救済をどうするか?被爆者は非常に高齢であり、緊急かつ重要な課題となっている。私たちはIPPNWがこの問題を含め在外被爆者問題にもっと積極的に取り組んでいくことを提案したい。私たち日本人、日本の医師はこの朝鮮半島に住んでいる被爆者の方々がどういう状況にいるのか詳しいことをもっと知ることが重要な課題である。そして、日本の医師として何が寄与できるかを追及したい。
米原子力潜水艦が水産高校の実習船「えひめ丸」を沈める
昨年2月に日本の水産高校の練習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦による衝突により沈められ、4人の高校生を含む9名が死んだ。見学者に見せるために周囲の安全確認をせずに緊急浮上した米原子力潜水艦の犠牲になったのだ。犠牲者の家族の怒りと悲しみは、人間性を否定する愚かな行動の犠牲者という意味でSeptember11の犠牲者の家族のそれと何ら変わらない。軍隊というものは安全を軽視し、市民の安全保障のためと称して不必要で危険なゲームを楽しんでいる。
911とアフガニスタン、パレスチナ
いかなるテロも許すことができないというのが我々の立場であるが、「テロへの戦争」という報復で市民を巻き添えにする空爆などの戦争行為には反対し、抗議した。日本政府も他の政府と同様早くから米国の報復戦争を支持し、憲法違反である自衛隊の海外派遣を行なった。我々の多くの会員は人道的な立場で医療援助活動を以前から行なっていた日本のNGOに対して積極的に支援した。
テロリストの制圧という名目で行なわれているイスラエルの軍事行動に対しても強く反対する。軍事的に圧倒的優位に立つイスラエルの侵攻を許すことはできない。イスラエルの軍事行動を容認してきた世界の政府は、イスラエルが占領地からただちに撤退し国連決議に基づいて誠実に和平交渉に臨むよう積極的に圧力をかけるべきである。世界中のNGOが連帯し、声をあげる時である。
教科書問題
小泉首相は平和に反し、緊張を高める二つの残念な問題を引き起こした。それらは教科書問題と靖国神社参拝問題である。日本では学校で使う教科書は国の検定に合格したものの中から各地の教育委員会によって選ばれることになっている。
昨年の教科書検定では、過去の歴史的事実を歪め、侵略戦争を美化した教科書がパスし、海外から、特に中国、朝鮮から強い抗議を受けた。過去の侵略戦争に関する記述に関する美化は非常に大きな問題だが、ここではヒロシマ・ナガサキの原爆に関する記載内容についてのみ述べる。その教科書では被爆の実相はほとんど記載されず、核廃絶は理想であり、「もし核廃絶が表面的に合意されたら、そのときは世界にとってもっとも危険な瞬間である」という考えもあるとするなど核兵器に好意的で核抑止論を肯定する記述となっている。
子供たちが歴史から学ぶべきことは、もし核爆発がおきたら人類はどうなるかであり、平和を守るためには核兵器も必要だという妄想ではない。私たち多くの市民は単に近隣諸国から反対されたからではなく、歴史の事実から教訓を学び再び過ちを繰り返さないという立場から、意図的に過去の行動を都合よく解釈し、戦争を肯定する教科書が採用されることに反対した。その結果、幸いなことにこの教科書を採用する学校はほとんどなかった。しかし、この問題が終わったわけではない。軍国主義、偏狭な民族主義に取り付かれた議会のタカ派や一部の学者達は次の機会を狙っている。
危機に瀕する平和憲法
憲法で戦争を放棄している日本が平和維持の名目で、対テロ戦争支援の名目で、次々と自衛隊を海外に派遣している。インド洋に軍艦を派遣することが自衛とは無関係なことは明白である。今、大切なことはさまざまな理由をつけて憲法違反を無理矢理正当化することではなく、紛争解決のために外交的努力や対話を重ねることだ。
日本国憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し(憲法前文より)」「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する(第9条)」と述べている。これを理想に終わらせてはならない。しかし、今この素晴らしい憲法がアメリカのあるいは国内のタカ派の圧力の前に危機に瀕している。日本を普通の戦争ができる国に変えようというのだ。彼らは日本人が第2次世界大戦から学んだ歴史的な教訓を消し去り、再び同じ愚挙を繰り返そうとしている。
しかも、今国会ではありもしない敵から日本が攻撃あるいは攻撃される可能性がある場合に戦争に備える法案が国会を通過させられようとしている。
非核神戸方式の形骸化
非核神戸方式、この核兵器を搭載していないことを誓わない限りその艦船の入港を認めないという方式は、非核宣言をした自治体にとっては当然の権利である。この方式が有効なことは、実際に、それ以来今まで一度も米核兵器搭載可能艦艇が神戸港に寄航していないことで明らかである。しかし、米国は日米安保条約の新ガイドラインを実効あるものにしようと、それらの艦艇が神戸港に入港できるよう執拗に直接的あるいは間接的な圧力を強めている。
米国の核兵器搭載可能艦艇が、今までに寄航したこともない日本のさまざまな商業港に相次いで入港し、全国どこの港でも自由に入港できるという既成事実を積み重ねている。この非核神戸方式を存続させ、日本全国、全世界に広げることが重要である。我々はこの非核神戸方式は、地域非核地帯を作ることに次ぐ重要で効果的な方法だと信じている。
その他
沖縄の基地問題は非常に重要な問題である。別の資料が用意されているので、それを読んで実情を知って欲しい。数ある米軍の海外基地は同じような問題を抱えているが、沖縄の現状は最もひどい部類に入るだろう。
また、日本特有の課題として、被爆者医療にも最大限の努力を払っている。
平和テキストも、もうすぐ完成の予定である。
つどいからのメッセージ
21世紀を迎える直前には、中堅国やNGOは力を付け、私たちはもうすぐ核を無くすことが可能だと実感できる状況になっていた。しかし、残念なことに21世紀になってからは非人道的で失望することばかりであり、しばし絶望的にさえなる。
しかし、私たちはこのような苦境にこそ地道に、そして持続的に活動することが大切だと信じ、核のない平和な世界、人権を尊重する世界を実現させることの重要性を説き、署名を集め、繰り返し日本政府やUS大統領に声明文や抗議文を送ってきた。また各地で講演会などのイベントを主催し啓蒙に努めてきた。2000年秋にはAshford IPPNW共同会長を招き多くのことを彼女から学ぶことができた。
最近、若い活動家も少しずつ増えつつある。新に反核運動の仲間に加わるものもいる。わたしたち「日本の反核医師のつどい」に参集する医師は信念と希望をもって、IPPNWの仲間と共に、核廃絶のために、そしてすべての人の人権が尊重される世界を実現するために最大限の努力を尽くします。
世界の市民が力を合わせ、21世紀を戦争の世紀でなく平和で核のない世紀にしよう!
困難な情勢であるほど、われわれの運動はより重要である。
原爆の被害を認めてほしい。日本政府の被爆者政策を変えさせよう。
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原爆症認定をめぐる集団訴訟への取り組み
向山 新
現在被爆者は高齢化が進み、多くの被爆者が癌をはじめとする疾患の治療を受けており、健康状態は深刻な問題となっています。
被爆者は、あの日の惨状をくぐり抜けましたが、その後も身体的、精神的、経済的な多くの苦難を乗り越えて生き延びてきました。そして、癌にかかったと言われたときそれが原爆の影響であると考え、国にその補償を求めることは当然の振る舞いであるといえましょう。
ところが、日本政府はアメリカの核の傘に守られ、その核政策に追従する立場から、原爆被爆の被害をできるだけ小さく見せようとする立場に立っています。この姿勢に対し、すでに松谷裁判、京都原爆裁判では国が敗訴し、原爆被害に対する国の姿勢の問題点やDS86に基づく被爆線量推定方式の問題が指摘されています。しかし、未だに厚生労働省は原爆症の認定申請に対し、残留放射線による被曝や、体内被曝などを無視したDS86を根拠にした「原因確率」といういっそう機械的な尺度を用いて認定を行い多くの被爆者の認定を却下しています。
これに対し、日本被団協は集団訴訟を行う運動を始めました。被爆者の高齢化に伴い個別の裁判を争うことが困難であることに加えて、単に一人一人の認定の適否を争うのではなく、原爆被爆者に対する認定行政のあり方そのもの、被爆者に対する政策そのもののあり方を問うために集団訴訟を提起しています。今までは、認定されることの無かった遠距離の被爆者、入市による被爆者でも被爆による急性期症状の強かった人や、被爆後の健康状態のすぐれない状態が長引いた人などを中心に認定申請を行い、却下された場合に集団訴訟のかたちで争うことになります。
私たち医師にもこの集団訴訟への支援が求められています。医学的な立場から被爆の影響について意見を述べること必要になるかもしれません。この問題については未だに様々な論争のある部分であり、多くの科学者の協力が必要になってきます。各国の科学者がこの問題に興味を持ち、意見を述べていただけることを期待しています。
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57年間、広大な米軍基地が占拠する沖縄から訴える
全日本民主医療機関連合会
西銘圭蔵
第2次世界大戦が終了し、1951年、日本とアメリカ等でサンフランシスコ講和条約が締結された。
アメリカは戦略的にソ連抜きの片面講和を結んだのである。沖縄は地勢的条件から、アメリカの極東戦略の重要な基地として整備された。日本は同条約で、アメリカが沖縄を将来、信託統治領として国連に提起するまで自由に使用できることに同意した。同時に結ばれた日米安保条約は日本が攻撃された時の日米協同行動や極東の平和と安全の維持という名目で、日本への米軍の駐留を認めた。この戦争で沖縄の住民は全人口60万人の四分の一が戦死した。アメリカは占領した沖縄で住民を銃剣で追い払い、住居をブルドーザーで破壊し、広大な軍事基地、東洋一の嘉手納飛行場を構築した。住民は住む場所と農地を奪われた。無一文になった伊江島の住民は乞食行進をして米軍の不法を沖縄県民全体に訴え、日本や世界に訴えてきた。住民は武力では米軍の前では為す術もなかったが、理性では常に米軍を教え諭す立場にあった。敵・味方を問わず、軍隊が住民を守りえないことは狭い島の戦闘で15才前後の学生まで戦争要員として狩りだされたこの戦争から住民が学んだことだった。生き長らえた住民が目にしたのが、広大な米軍基地である。そして、2002年までの57年間で沖縄の米軍基地から、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナ攻撃、アフガニスタン報復戦争へと米軍機が飛び立っていった。アメリカが遠い他国で戦争をする理由づけは、時代とともに変化している。
最初は共産主義の脅威であり、次はならず者国家であり、今や悪の枢軸国である。しかし、広大な米軍基地がおかれた沖縄住民の脅威は常に米軍であった。米軍の意に反する者は沖縄から外へは渡航できず、水道、電気、銀行はすべて米軍が握っていた。1956年には沖縄の首都に彼らが最も嫌った瀬長カメジロウが市長に当選した。米軍は議会の分断工作や銀行の取り引きを停止したが、住民の反撃にあい、最終的には当時の高等弁務官のの口から出た恣意的な法律で彼を追放した。米軍は武力で対抗する相手に対しては核兵器を始め、幾多の攻撃手段を持っていたが、平和的・理性的に対抗する沖縄の住民には一歩一歩、譲歩せざるを得なかった。1972年の日本復帰までは形式的な沖縄住民の自治はあったが全ての法律は米軍の最高権力者が簡単に変えることができた。沖縄の帝王といわれたキャラウェイ高等弁務官は「沖縄住民にとっては自治は神話である」と豪語していた。彼こそが沖縄でアメリカ流の自由と専断を満喫していたのである。勿論、彼らは支配者であり、実利主義者であったから譲歩するときも、核心である軍事基地の自由使用と核兵器の持ち込みという点では決して譲歩してこなかった。1972年の祖国復帰も米軍のそうした思惑が働いていた。沖縄住民の日本への復帰要求は放置すると米軍基地そのものの全面撤去につながるとアメリカは敏感に感じ取っていた。
佐藤首相の名代としてキッシンジャーと交渉した若泉 敬は当時の事情を記録している。「こうして先見の明と政治的識見のある行動によって、複雑な交渉が終わった。回避された危機というものは、大きなニュースにはならない。表面上は、沖縄についてわが国が譲歩したようにみえたが、実際には米日関係を維持できることになったのでである。わが国は沖縄から核兵器を撤去するとともに、通常兵器の使用についても一定の限定的な制限を受け入れた。これらの措置を通じて、われわれは一切を失うことを免れることになったのだった。1972年以降も沖縄の米軍基地はなんらの干渉も、大規模な世論の反対も受けずに、引き続き運用されている。しかも沖縄交渉は、わが国と日本とのパートナーシップを強化する基礎を築いた。」(キッシンジャー秘録、1979年、他策ナカリシヲ信ゼント欲ス;若泉 敬、p495)。それにも拘らず、沖縄県民はアメリカが沖縄を信託統治にするとした日米の国際条約、サンフランシスコ講和条約第三条を事実上、無効にしたのである。1995年の海兵隊による少女暴行事件に憤激した8.5万人の10/21県民抗議集会に対する彼らの対応も同様であった。次期垂直離着陸攻撃機V22オスプレーを使用できる基地が欲しかった彼らは、新巨大海上基地の建設と引き換えに古びた普天間基地の返還を仰々しく発表した。移転の期限7年は2003年に迫っているが、住民の基地反対運動の前に基地建設ができないでいる。今、アメリカは日本に対してアーミテージ報告(2000/10)が主張したように、負担の共有から軍事力の共有を迫っている。湾岸戦争に対して1兆円の戦争費用を日本は出したが、アフガン報復戦争に至った現在、アメリカは軍事力の行使をせよと要求しているのである。ブッシュ大統領は2002年の年頭教書でイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んで戦術核兵器を含む攻撃の対象としている。これに呼応して2002年4月の日本の国会は有事3法案を国会に出してきた。唯一の核兵器被爆国であり、57年間国際紛争に武力を行使しないできた日本が、平和と戦争の分岐点に立っていることは間違いない。ABM条約脱退やNPT条約を反古にして世界を武力で制圧しようとしているアメリカを思い止まらせる力は何か。沖縄県民や日本の国民は平和主義・非暴力の視点で運動を進めているが、アメリカ国内での運動が好戦的なブッシュ
政権の手を縛るのはいうまでもない。第15回IPPNW世界大会に参加された平和を愛する皆さんの奮闘を期待したい。
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IPPNW総会発言原稿
小池 晃
スピーチの機会を与えてくださって感謝します。
私は日本の参議院議員で「反核医師、医学者のつどい代表団」の一員である小池 晃です。
核戦争を阻止し、核兵器を廃絶することは、21世紀の人類生存にとって、緊急で死活的に重要な課題です。私は、核戦争を阻止し核兵器を廃絶する上で、現在生じている重大な逆流について報告し、それをどう克服し、いかにして核兵器の廃絶を実現するか、発言します。
今、核兵器廃絶にとって、重大な障害が生じています。それは、先日暴露された米国防総省による「核態勢見直し(Nuclear Posture Review NPR)」報告です。
この報告は、核兵器と通常兵器を「融合」させた攻撃能力の重視、使いやすい小型核兵器の開発や、そのために核爆発実験再開も計画するなど、アメリカ政府が、核兵器の使用を現実的な選択肢とするきわめて危険な核戦略の転換をはかりつつあることを示しています。
さらにこの報告は、核兵器の非保有国を含む七ヶ国を核兵器の使用対象としました。また、核兵器使用のシナリオでは、地下施設など通常兵器での攻撃に耐えられる標的への攻撃や大量破壊兵器使用への報復のほか、「予期せぬ軍事動向」にも核を使うというのですから、核使用の制約条件は事実上なきに等しい状況になっています。
このような危険な新政策の最大の口実とされているのが「テロとのたたかい」です。しかし、大量破壊兵器開発の疑惑などを理由に、特定の国を「悪の枢軸」と決めつけて一方的な軍事行動を公言し、核兵器を含む強大な軍事力をふりかざすなど、まったく道理もなく、世界をいっそう不安定で危険にさらすだけです。テロに対する武力による報復が、罪のない市民を殺傷するだけでなく、さらなるテロの悪循環を生むことは、アフガンでの報復戦争や、パレスチナの泥沼のような紛争を見れば明らかです。
しかし、アメリカの軍事力や経済力がどれほど巨大でも、道理ある多数の声を踏みつぶすことはできません。この間の核兵器問題をめぐる動きは、そのことを明白に示しているのではないでしょうか。
すなわち、非同盟諸国やNGOの努力が国際政治を動かす力を持つにいたり、2000年の核不拡散条約加盟国会議では「核兵器廃絶の明確な約束」にアメリカも合意せざるを得ませんでした。昨年の国連総会でも、マレーシア提案の核兵器廃絶条約交渉の開始を求める決議などが、圧倒的多数の賛成で採択されました。核兵器の廃絶を求める世界の世論と運動は、確実な地歩を築きつつあります。
このような世界の大きな流れに抗して、アメリカ追随を際だたせているのが、日本の小泉内閣です。
さきの日米首脳会談でもアメリカのアフガニスタンからイラクへの戦争拡大に賛同を表明しました。さらに、国家の戦時体制をつくりだす有事法制を国会に提出し、審議を始めました。この有事法制は、アメリカが日本の周辺、具体的には朝鮮半島や台湾海峡での軍事作戦を開始した際に、日本の自衛隊と、医療従事者などの民間人を動員することを目的としたものです。さらに日本政府は、国連の核軍縮決議に対する態度では、相変わらず核兵器廃絶の課題を先送りし、速やかな核廃絶を要求する決議に棄権し続けています。
日本の反核平和運動は、小泉内閣のこうした危険で従属的な本質を広く国民に警鐘乱打しています。同時に、政府に対しては、被爆国であり、戦争を放棄した憲法を持つ国としてふさわしい役割を内外で果たすことを要求しています。4月には東京で有事法制に反対する市民集会を開催し、5000人が参加しました。さらに運動を発展させていくことができると確信しています。
世界各国での運動の前進と連帯の強化を訴えて、発言を終わります。
ありがとうございました。
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長崎の隣接地域被爆者を中心とした被爆者救済対策について
----長崎での実態調査をふまえて----
上戸町病院 外科 本田英雄
私は被爆地長崎で医療に当たっている本田といいます。
日本時間で1945年8月9日午前11時2分、長崎市の上空500mで原子爆弾が炸裂しました。7万人以上の人々が亡くなり、その時爆心地より1kmほど離れた工場にいた私の祖父も、すさまじい爆弾の威力で即死しました。運良く生き残った人々も、今なお肉体的、精神的障害で苦しんでいます。
被爆者は年々高齢化していますが、それでもいま私が診療している患者さんの約半数は被爆者です。肉親や友人などが原爆放射線の影響で次々と倒れていくのを目の当たりにしながら今日まで生き続けた多くの被爆者は「自分もいつかあの人のように倒れるのではないか」という言いようのない不安を抱えながら被爆後の56年余を生きてきました。診療の中で、被爆者の心の底の決して消えない深い傷に気づかされる時、私の心は激しく痛みます。そして、人類が同じ過ちを決して起こさないこと、二度と「ヒバクシャ」が生まれないことを強く願わずにはおれません。人々の健康を守る私たち医師は、主体的に核兵器廃絶の運動をすすめていく責務を負っています。そのことを常に肝に銘じてこれからも被爆者の診療に当たっていこうと思っています。
広島、長崎の被爆者に対して日本国政府は医療費給付などの措置をとってきました。ただしその対象者は爆心地からの距離や当時の行政区分に基づいて限定され、国が定めた区域からわずか数mでも外にいた場合は何の補償もなく放置され続けてきました。長崎ではかねてより、このような隣接地域で被爆した方々に対する救済措置を求める運動があり、1999年から2000年にかけて、隣接地域、具体的には東西方向で爆心地から7km〜12kmの範囲で被爆した方々で現在生存している約7000人に対する健康調査が行われました。その結果、隣接地域で被爆した方々はその他の人々と比べ、PTSD(Post-Traumatic
Stress Disorder)の有病率が高いことがわかりました。そしてそのことが原因となって様々な身体症状を抱えていることも明らかになってきました。
この調査を元に、日本国政府はようやく重い腰を上げて救済策を発表しましたが、その内容は、
・医療給付の対象疾患から癌をはずす
・当時、隣接地域で被爆した人でも、現在長崎市周辺に住んでいない人は医療給付の対 象にならない
など、きわめて不十分なものです。
先ほど述べた健康調査では、隣接地域で被爆した人々においても被爆当時、発熱、下痢、歯肉出血、皮膚斑点、脱毛など急性放射線傷害と思われる症状が高頻度で出現しており、被爆による健康障害が無視できないのは明らかです。したがって、医療給付の対象から癌を除くなどの措置は健康被害を過小評価するもので容認できません。
今回の隣接地域被爆者の問題では核兵器廃絶運動や被爆者救済に消極的な日本国政府の態度が如実に現れていると言えます。我々はこのような日本国政府の態度を改めさせたいと思っています。被爆国の政府たる日本国政府は、核兵器廃絶運動や被爆者救済について国際的イニシアティブを発揮すべきです。そのことを強く国際世論にも訴えたいと思います。
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21世紀を安全と信頼の世紀に
池田信明
私は池田といいます。日本から来ました。民間の非営利の病院の院長をしています。私たちの病院では、「侵略戦争には協力しない」という決議をし、病院の正面にその決議を掲示しています。日本は第二次世界大戦でアジアの諸国に対して侵略戦争をおこない、アジアの人民に大変な苦しみをあじあわせたました。
それを反省して、憲法で「日本国民は、秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」と定めています。日本の歴代の保守党政権はこれを改訂しようと試みましたが果たせずにいます。この憲法は現在でも多くの日本国民の誇りであります。われわれはこれを平和憲法と呼んでいます。私たちの病院が掲げる侵略戦争非協力の掲示はこの憲法の精神を表したものです。
昨年の9月11日の悲惨な出来事をみてテロリストに対し怒りを覚えます。しかしこのテロに対して報復戦争をおこなったアメリカ政府を支持することはできません。力に対する力の政策は再び力の報復を呼びます。このことはその後のパレスチナの事態で明らかであります。
第二次世界大戦では死傷者が5600万人出たといわれています。21世紀にはそのような事態が決して起こらないように、諸国民が紛争を軍事力で解決する方法を拒否し、国際的な協調と団結で解決する方向に進むことを念願します。私たちの病院は侵略戦争非協力の掲示を掲げ続けます。そして日本国民は平和憲法を守り続けます。
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