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群馬・深沢尚伊

IPPNW世界会議(北京)

 核戦争防止国際医師会議が北京大学医学部を会場に開催され9月16日(木)〜20日(月)までの5日間北京へ行ってきました。58カ国300名の参加者で、日本からは「反核医師のつどい」から38名、IPPNW日本支部から68名と多くの医師が参加しました。日本では、広島や長崎を除くと、核兵器廃止・核戦争防止を訴える運動は「左翼的」と見られがちですが、多くの国では医師会レベルの運動になっています。そのため、全体会で特定の国を批判する事は、めったになかったのですが、今回は、アメリカの国連を無視した戦争や、核廃絶の運動に反する小型核兵器開発や劣化ウラン弾使用に批判が集中しました。

感動を呼んだ広島市長あいさつ

 開会の全体会では、秋葉忠利広島市長のあいさつが会場を感動の輪に巻き込んだ。彼は、IPPNW第一回大会がボストンで開催された時からこの運動に関心を持ち、参加していたとのこと。始めに、第二次世界大戦で日本が行ったことが中国の人々に与えた影響を理解しているにもかかわらず招待して頂いた事への感謝を述べました。スライドでは、被爆者の描いた絵を呈示して、このような事を二度と起こしてはいけない。私の伝えたいメッセージはそれだけだ。被爆者は生き残る道を選び、世界に訴え続けている。そして、誰一人報復行動にはでていない。今後の行動提起としてヒロシマ・ナガサキ平和プロジェクトとして、世界の大学で正規の科目と して平和の授業を。その中での被爆者の証言を提起しました。 来年5月のNPT(核拡散防止条約)再検討会議、世界平和市長会議へ向けたくさんのNGO・個人が運動を展開しようと運動提起。これまでになかったスタンディングオベーションを受けていました。

「反核医師の会」参加者の積極的取り組み

 保団連・民医連を中心に参加した「反核医師の会」は、16日北京に到着すると直ぐに会場の「北京大学会議中心」という建物に向かい、宣伝用のコーナーを設置してもらう交渉し、分科会に行くには必ず通過する会談のおどりばを貸してもらいました。

和歌山協会の松井団長が、ミサイル防衛の問題で指定発言するのを先頭に、任務分担して日本に於ける様々な核問題の発表を行いました。私は、日本の平和憲法が改悪されようと事態が進んでいる現状を訴えるために、原稿を用意しましたが、発言希望者多数で時間制限があり、憲法前文と9条の英文パンフレットを各国の医師達に読んでもらいたい事を訴えました。本当は、前文と第九条戦争放棄の読み上げも考えていたのですが叶いませんでした。デスクでは、毎回の事ですが、折り鶴の実演と作り方指導(これが人気なんだ)とアピール署名。何よりも、これからの連携の為にたくさん友人を作ろうという目標で積極的な働きかけをしました。 特に、日本の平和になくてはならない北アジアの友好関係を医師レベルで築こうと、考えていましたが、北朝鮮からは参加0、韓国も少なく主催国の中国もスタッフこそたくさんいましたが、医師が少なくちょっとがっかりでした。

劣化ウラン弾問題

 これ については、激しい意見が飛び交いました。不潔な水、生物兵器の影響、低栄養・・いろいろ原因となりうる要素があるのに、最初から劣化ウラン弾が原因と決め付けることに対して強い抵抗もありました。日本やドイツの医師の発言で原因調査について、いろんな立場で研究を進めることは欠かせないが、放射能兵器であることに間違いはなく、人体に影響があることは十分考えられる。いますぐに使用を中止させておくことは絶対的に必要という点では、ほとんどの(私の知る範囲では反対は無し) 医師の合意が得られたと思います。この分科会の中で、「NO DUヒロシマプロジェクト」の神戸大学の嘉指信夫教授や森滝春子さんらと合流し、以後行動を共にしました。私たち群馬協会が劣化ウラン弾とイラクの健康被害との因果関係を追求する上で も、協力関係がとれそうです。

中国の女医さんにはふられた?

 写真は、若くてカッコいいインドの医学生に折鶴を教えた後の記念撮影です。他にも、エジプト・オーストラリア・ネパール・ドイツの医師・医学生と親しくなりました。中国の医師(若い女性)にも声をかけたのですが、途中で「2〜3分待って」といってロビーから出て行ったまま、休み時間が終わる頃にも、戻ってきませんでした。広島医師会が、誘って参加した長崎大学医学部1年生が昼食の時私の隣に来て、10月の札幌で開催される「反核医師のつどい」に参加したい、と言ってきました。他にも劣化ウラン弾問題を追求している日本の学者とも知り合いになり非常に、有意義な会議でした。

北京雑感

4年後のオリンピック主催に向けて、建設ラッシュでした。今では、自動車が中心で、歩行者・自転車が信号無視で入り交じり路上はクラクションで騒然としていました。現地のガイドの話では、ここでは「勇気優先」です、と話され納得。毎昼・夜と中華料理責めにあい、私は夜のラーメンツアーを決行。ホテル近くの大衆食堂へ、可愛いお姉さんの客引きとの会話を楽しみながら突き進みラーメン・地ビールで交流しました。日本語はもちろん英語も全く通じない世界で、指さし・身振りでビールは飲み放題飲んで、会計が心配でしたが、8人で約1400円という驚きの安さ。ホテルでは、同じビール1本頼むと800円位の追加料金でした。この取るところからは取るというダブルスタンダードも文化なのだ、と関心しました。ここのチャイナドレスのお姉さんは愛想が良かったので、二晩続けて利用したのですが、デパート・スーパーの店員の愛想悪さは、日本では考えられないくらい。4年後までに変わるのだろうか?最後に、出国待ちのロビーの書店で、第二次世界大戦時の本。特に、「日本の終焉」と題して、ヒロシマの写真集があったり、731部隊の記録などが普通に並んでいました。