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第14回反核医師・医学者のつどいを開催

21世紀沖縄から核基地戦争を問う

二日間全日程で160名が参加

 

 昨年十一月一日から二日間の日程で、沖縄県那覇市内において、「第十四回核戦争に反対し、核兵器廃絶を求める医師・医学者の集い」が開催され、全国から医師、歯科医師など百六十名が参加した。今年のテーマは、「二十一世紀、沖縄から核・基地・戦争を問う かたやびら命どぅ宝」。

 今回は、今年三月に全国二十八番目に結成された沖縄県「反核医師の会」が中心となり、実行委員会を組織してその準備を始めた。実質準備期間は6ヶ月と短かかったが、十一月一日〜二日の二日間パシフィックホテル沖縄を会場として開催された。(詳細は、別途報告集を作成)

 

 第一日目の十一月一日(土)は、午後一時二十分「ヒバクシャ」という映画の上映から始まった。二時間におよぶ日本、世界のヒバクシャに関する記録映画であったが、事実をつきつけて来る画面の迫力に二時間という時間は短く感じられる程であった。ヒロシマ・ナガサキだけでなく、世界の核実験場周辺など各地にヒバクシャが苦しんでいることを明らかに

する映画であった。

 午後三時三十分からの記念講演の演者は国際政治学者のダグラス・ラミス氏であったが、講演の中でラミス氏は米国が九・一一テロ以前からブッシュ政権による国際協調を無視した世界唯一の「帝国」になることを意図していたが、実現が難しかった。しかし九・一一のテロを口実として、それに対する報復戦争と位置づけてアフガン戦争を開始し、またさらにイラク戦争を開始し、いま「帝国」になろうとしていることを強調した。

 午後5時15分からは総会議事に移り、松井和夫全国「反核医師・医学者のつどい」共同会長による基調報告、莇昭三同共同代表による特別講演が行なわれた。

 午後六時三十分からはレセプションに移り料理を楽しみながら各都道府県「反核医師の会」の活動報告、地元沖縄の琉舞、空手演武の披露など、なごやかな雰囲気の中に終了した。

 

 第二日目(十一月二日・日)は三会場に分かれて分科会が開かれた。

 第一分科会は「核軍事基地沖縄と有事法制」をテーマとし、新垣勉弁護士が「有事法制について」と題して、大城保英沖縄県平和委員会事務局長が「核軍事基地沖縄と有事法制」 と題して、また宮城康博名護市議が「名護への新基地をめぐって」と題してそれぞれ問題提起を行ない、その後討論がなされた。この分科会の参加者数は五十一名であった。

 第二分科会は「原爆症認定集団訴訟を勝ち取ろう」というテーマで、山田拓民長崎原爆被災協事務局長が「被爆者はなぜ立ち上ったか」と題して、山下兼彦長崎県保険医協会副会長が「集団訴訟を支える」と題して、また宮原哲郎弁護士が「集団訴訟の意義」と題して、それぞれ問題提起を行ない、その後討論がなされた。この分科会の参加者数は三十二名であった。

 第三分科会は「平和教育の実践」というテーマで、堺英二郎琉球大助教授が「核の科学の教育」と題して、石原昌家沖国大教授が「沖縄戦の体験と平和教育」と題して、また西銘圭蔵沖縄県反核医師の会世話人が「医療と平和はどう結びつくか」と題してそれぞれ問題提起を行ない、その後討論がなされた。この分科会の参加者数は42名であった。

 分科会終了後、閉会総会がおこなわれ、アピール「唯一の被爆国の医師として命と平和を守るために闘おう」と、特別アピール「原爆症認定集団訴訟の勝利をめざして医療人の社会的良心を発揮し、全面的に支援しよう」を2つのアピールを採択して、幕を閉じた。

 その後、オプショナルツアーとして、キャンプキンザー(車窓)→嘉数高台公園(普天間基地展望)→安保の見える丘(嘉手納基地)→道の駅「かでな」のコースでバスツアーが行なわれ、三十七名が参加した。