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団長 中川 武夫

 第17回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の世界大会が「医師の使命 戦争か健康か」のテーマの下、フィンランドの首都ヘルシンキで、2006年9月8日から10日まで開催された。フィンランドでは1984年の第4回大会に続く2度目の開催である。核戦争に反対する医師の会からは事務局通訳を含め17名が参加した。他に、日本支部からと大阪、京都支部から25名と医学生の参加があった。全体としては、50を超える国から医学生130人を含む450名以上が参加した。残念だったのは、北朝鮮からは3名が参加していたが、北東アジアのメンバーである前回開催国の中国からは学生の参加のみで、韓国からの参加が無かったことである。

 大会に先立つ9月3日、中央アジア5カ国が非核地帯条約に調印したことは、うれしい情報であった。

 大会は、三つの全体会議と1つのシンポジュウム、25のワークショップが持たれた。

到着した7日の夕方には、ヘルシンキ市主催のレセプションが市庁舎で開催された。

 8日は朝から開会の全体会議が始まった。フィンランドのトゥオミオヤ外相は挨拶の中で「2005年のNPT再検討会議は全く期待を裏切るものであった。前に向かっていない。北朝鮮、イラン、インドなどなどの事態を見ても、核保有国の核軍縮への努力が求められる。核テロの脅威も中東問題も国際協力で解決せねばならない。1つの国の努力ではできない。EUの努力が不可欠。2010年のNPT再検討会議に向けてあらゆる努力を払わねばならない。核戦争はさしせまった問題であり、核兵器の廃絶は緊急の課題である。」と発言。

 続いて、マッコイ共同会長は「1980年にIPPNWは創設された。人類が滅亡する前に核戦争を防止することが必要と考えたからである。今日、核戦争の脅威は減ったかもしれないが、偶発的に発生する危険性はむしろ増大している。核兵器は廃絶しなければならない。最大の核保有国アメリカのダブルスタンダードが新たな危機を生み出している。核抑止論は危険な考え方である。核兵器先制不使用を宣言しているのは中国だけで、ならず者国家、テロを理由に先制使用を正当化しようとしている。核を使用することこそ核テロ国家と言わねばならない。IPPNWは先制不使用を訴えていかねばならない。アメリカは、なぜこうした考えを持てないのか、建国の精神は何なのか、核で自国が守れると考えているのか、それとも今後もずーっとアメリカが世界を支配できるようにするためなのか。アメリカや同盟国が最も考えるべきことは「核廃絶」しかない。なぜこれが優先すべきであると考えないのか。核抑止は危険な考え方である。恐怖の中にいることでしかない。キューバ危機を忘れてしまったのであろうか。核保有国への働きかけこそが重要である。

 原子炉も爆発の危険性がある。CO2抑制策として核エネルギーを考えてはいけない。

 NPTは信頼の醸成が為されているとは言えない。1970年から新たな動きを作り出していない。05年のNPT再検討会議では13のステップで核を廃絶するプログラムが提示された。これが実行できるようにすることがNPTの役割である。95年の核保有国へのコミットメントが無視されたことが問題である。アメリカこそが核廃絶の最大の障害である。05年のNPTの失敗を受け、アメリカ国民の圧力が不可欠。圧力なしには彼らは動かない。IPPNWは地雷廃絶運動に学んで、あらゆる核廃絶への動きを支持していく必要がある。核廃絶へ向けて、大衆的な力をつけなければならない。その力を2010年のNPTに結集すべきである。核兵器の使用と同時に、開発の禁止、また核軍縮も不可欠である。核保有国の国民の考えを変えなければならない。

 若い世代に訴える。人類の滅亡の前に。ある国が、国益のためにのみ、軍事力を、核の脅しを使っている。文化経済などでの支配を他国へ広げている。一極支配の世界地図を変えなければならない。人の道に沿って考えていくことが必要不可欠。」と述べた。2人発言に対しては会場からは大きな賛同の拍手が鳴り響いた。

 世界平和市長会議の代表として、広島の秋葉市長は「2020年に核廃絶を達成する緊急行動(2020ビジョン)を展開する。核保有国に都市を攻撃の目標にしないよう求めるプロジェクトに取り組む」と発言、北京大会に続いてのスピーチであったが、北京同様大きな拍手が巻き起こった。

 この後、ターゲットXとスープキッチンが会場近くの街角で行われた。ターゲットXとは、ここが核兵器で攻撃されたら、と言った意味で、道行く人に核廃絶を訴えるデモンストレーションであった。スープキッチンは、スープを振舞うことで、関心を持ってもらおうとするイベントであった。

 ワークショップ(WS)については、私が参加したいくつかについて報告する。

 1つは、「原子爆弾の長期に亘る身体的遺伝的影響―広島と長崎」である。このWSは、JPPNW(IPPNW日本支部)の主催で、放影研の児玉先生と、長崎大学の朝長教授が原爆の影響について急性症状、・慢性症状について説明され、白血病に続いて固形癌や、癌以外の疾患が増えてくることなどの報告があったが、いま原爆認定訴訟などでも大きな問題になっている、低線量被爆や残留放射線の影響などについては、まだ研究途上である、との認識が示されただけに留まった。

 「ウラン兵器の健康への影響」のWSは、いわゆる劣化ウラン兵器に関するWSで、IPPNWドイツ支部の主催であった。イラクのDrジャワード・アルアリ医師がDUの影響と考えられる悪性腫瘍や先天性疾患についての症例を報告され、またそうした疾患が増加している実情について報告された。ウラン兵器禁止を求める国際連合(ICBUW)の振津女史は、8月に広島で開催されたICBUWの大会報告とDU兵器の禁止を訴えられた。フィンランドやアメリカの代表からもDUの健康への悪影響を報告されたが、DUの影響については、まだまだ科学的に解明すべき点が残されてはいるとの指摘もあった。影響がまだ未解明な点があるからといって、アメリカやイギリスの政府が言うように、「影響がない」ということではないことは共通の認識になったのではないかと思われた。

 閉会全体会でも、多くの感動的なスピーチがあったが、ここでは創設期の共同議長であったチャゾフ氏の話の一部を紹介する。氏は、次のように述べた。「私達の目標は核兵器を廃絶することであるが、まだ達成できていない。さらに活動を展開しなければならない。どう活動していくのか。核廃絶のたたかいは、さまざまな人達が取り組まなければならないが、医師はリーダーシップを発揮しなければならない。医師の科学者としての知識を、患者さんに、周りに広げていかなければならない。医師にはそれができるのである。」

 大会は、「平和を欲するなら、健康のために働け!」と題する大会声明と2007年のIPPNWの5つの目標を承認して会議を閉じた。

 声明は、「核兵器は・・それが人類の滅亡につながることを、われわれは滅亡の瀬戸際でようやく知ったのである。」「しかし、IPPNWの使命を25年以上も定義してきた重要な目標が未だに達成されていないことに、われわれは失望と怒りを感じている。」「冷戦時代に世界が核による破滅を免れられたのは幸運であった。1945年8月9日以後、これまで引き延ばしてきた核廃絶という課題に今こそ取り組まなければ、21世紀のわれわれは、もうそれほど幸運でないかもしれないのだ。ノーベル平和賞を受賞し、核廃絶こそ世界規模の予防医療であることを認識している医師の団体として、核兵器所有国にたいし、60年間続いているこの悪夢から世界を解放するように要請するものである。」とした。

 2007年のIPPNWの5つの目標は以下の5点である。

1. 核兵器廃絶国際キャンペーン

2. 核拡散と保健についての国際会議の開催

3. 小火器暴力の「防止をめざして」キャンペーン

4. グローバル・ヘルス・アラート(戦争はあなたの健康に悪い)とする手紙キャンペーン

5. 医学生への支援

 IPPNWは冷戦時、アメリカのラウンとソ連のチャゾフの2人の医師の呼びかけで創設され、2人が共同会長となって運営されてきた。今回まではマレーシアのマッコイとスウェーデンのウエストバーグが共同議長を務めているが、マッコイは今回で退任した。後任については大会後の理事会で選出されるようであるが、アフリカかから選ばれるようである。

 発展途上国では、核戦争と言うより、今目の前で起きている小火器による戦乱と殺戮、それらによってもたらされている飢餓などに、より大きな関心が持たれるのはある意味ではやむを得ない事であるとも思われる。

 冷戦時代とは一味違う運動体へと変っていくのであろうか。

 次回のIPPNWの大会は2008年3月、インドのデリーで開催される予定。道理で、インドからの参加者が多く、目に付いたのも納得できた。2007年6月21,22日(木、金)には、モンゴルで北アジア地域会議が開催される予定である。しかし、モンゴルと日本、北朝鮮だけでは会議の成功も危ぶまれるのではと思われた。

 全体を通しての感想は以下の点である。

1. 共同会長のマッコイ氏の「アメリカこそが核廃絶の最大の障害である。」の発言に象徴されるように、北京大会に続いて、アメリカの一極支配の構造、ダブルスタンダード、などが名指しで批判されたこと。

2. 1996年の12回大会頃までは、「核廃絶」は究極の目標、と言った発言が主流であったが、「核兵器の廃絶は緊急の課題である。」とのフィンランド外相の発言に象徴されるように、全ての発言が「核廃絶」を明確していたこと。

3. 「核抑止」論は妄想であることがコンセンサスとなっていること。

4. エネルギー問題として考えても、原子力発電はクリーンでもなく支持できないものであることが強調されたこと。

5. 従来は、どちらかと言えば「ロビー活動」で国際機関や国に働きかけることに重点が置かれていたように思われるが、医師として患者に語りかけ、理解を広げよう、との行動提起が為されたこと。

6. 医学生の参加が多く、医学生代表からも理事が選出され、重要な役割を担うことになったこと。

 ヘルシンキでは、時を全く同じにしてASEM6(第6回アジア・ヨーロッパ首脳会議)が開催され、私達が宿泊したホテルにも東南アジアの首脳が宿泊したようで、ホテルの出入りが空港並みの手荷物検査とボディーチェックがあったことや、街中で突然通行が遮断され、首脳を乗せた車列が優先される場面に遭遇した。街中に警察官がやたら目に付いたが、おかげで治安がいつもに増して良かったかもしれない。

 フィンランドは、人口520万ほどの国であるが、今、世界で学力が最も高い国として有名になっており、日本からも行政や議会などの視察が目白押しとか。フィンランドの教育は、留学生を含め、学費が無料で、日本のように学力と「親の収入に相関がある」と言うのではなく、能力があれば経済的に恵まれていなくても進学できる制度になっている。そうすれば、自らの能力を、自らの経済的欲求を満たすだけでなく、社会に貢献するという考え方が強く出てくると思うのは間違っているのであろうか。

 数年前訪れたデンマーク、やっぱり留学生の学費も無料との事で、デンマークへ残った日本人留学生が、「留学費用はデンマークが面倒を見てくれた形で、何かデンマークの役に立ちたいとデンマークに残り、仕事をしている。」と語られたのが印象に残っている。以前、スウェーデンの福祉施設を見学した時に、「日本からは、政府関係者や議員さん達も含めて多くの方がスウェーデンの福祉を学びに来られたが、その後日本の福祉はどのように改善されましたか?」と聞かれた。皮肉ではないと思いたいが、ドキッとしたことを覚えている。フィンランドを視察した政府関係者が、こうした点をフィンランドの教訓として学んで帰ってくれることを、半ばあきらめながら期待したいものである。

副団長 山上紘志

 フィンランドのヘルシンキで9月8日から10日の3日間、第17回IPPNW(核戦争防止国際医師会議)、「医師の使命 戦争か健康か」をテーマに全体会議、シンポジウム、ワークショップセッションを開き、核兵器廃絶のための運動強化を目指して論議を行った。大会には世界の50を超える国から学生130人を含む450人以上が参加した。日本からは中川武夫「反核医師の会」代表世話人を団長とする15人の会員が参加した。

 8日の開会式でロナルド・マッコイIPPNW共同議長は、米国の核政策を批判し、核廃絶の草の根の運動を強め、核保有国政府に圧力をかける運動を強めるよう訴えた。 

日本から参加した各代表は、各ワークショップで精力的な訴えを行った。

 「核廃絶へのNGOの戦略」では辺野古沖での新基地建設計画と横須賀への原子力空母化計画反対の運動について報告し、在日米軍再編計画が自衛隊と一体となった「テロとの戦い」であると強調した。

 また、「グローバル化と戦争」では「人間は平和に健康に生きる権利がある」というシンプル・スタンダードを強調して訴えることはNPTの行き詰まりの打破にも効果があると発言し、参加者の共感を得た。

 医学生と青年医師を中心とした分科会では、医学生たちとの交流を通じ、平和の問題や核兵器についての学習や実践を報告し、「こうした方法を世界でも進めることが運動拡大につながる」と訴えた。

 フランスには核実験にかかわった退役軍人の放射線障害問題が浮上しているが、政府はこれを放置してきた。日本の医師、被爆者たちと交流・協力して、彼らを救うために双方の国で反核運動を盛り上げたいことがパーティーの席で提案されるなど、諸外国の医師達とも有意義な交流がはかられた。

 平和で安心、安全な社会を望むのは人類共通の願いである。今後も「平和の希求」をめざし草の根から精力的な取り組みを進めたい。


東京 向山 新

 皆様からご援助をいただき、9月8日から10日にヘルシンキで開催されたIPPNW世界大会へ参加してきました。今回は43カ国から約500人の参加者が集まりました。このうち130人ほどが医学生で、日本からも26名の学生が参加していました。

 今回のテーマは「War or Health」でした。開会式では、McCoy共同議長が米国の一国主義を徹底的に批判して米国こそテロ国家であると言っていたのが印象に残りました。また、閉会式では、Co-founder のChazov博士が核による世界の支配が様々な問題を引き起こしており、核廃絶が大きな意味を持っていると発言され、IPPNWの基調として、核兵器の廃絶、核戦争防止は大きな課題であることが確認されました。しかし3日間のそれぞれの全体会議では、「核廃絶:新しい挑戦、新しい戦略」「防止に向けて:小火器によるによる暴力、その人間的側面」「持続的エネルギーによる持続可能な安全保障」がテーマとなっており、核兵器、核戦争だけが主要なテーマではないということがよくわかります。世界各国における課題がさまざまであり、核廃絶という問題だけで世界中の医師が集まると言うことが難しくなっている時代であるということでしょう。

 私は、原爆症認定集団訴訟の話題を準備して「広島長崎原爆の身体的、遺伝的な長期的影響」というワークショップに参加しました。

 まず、厚生労働省の原爆症認定の現在の基準となっている「原因確率」の責任者である児玉氏の発表がありました。所属されている放射線影響研究所の後障害に関する研究報告でした。この間の後障害の特徴として、多重癌が増えていること、非癌疾患も増えていると言うことを述べられました。しかし、非癌疾患に関しては、因果関係はまだ研究の途上であるという立場を示しています。また、低線量被爆については固形癌の線量反応関係は線形であるので低線量被爆も重要であるといわれている、一言だけ触れていました。基調としては、60年経った今でも原爆の被害は続いているというスタンスではありましたが、原爆症認定集団訴訟でも問題となっている、原爆による過剰な癌の発生はわずかに過ぎないという点は強調していました。

 それでも、放射線による被害の予防のためには、核戦争の防止、さらに、核兵器の廃絶が必要であるというコメントを述べられたのは、この間のIPPNWへの私たち反核医師の会の働きかけによる成果であるのかなと思います。

 その後のディスカッションで、低線量被爆や残留放射線の問題に絞って、発言しよう準備をしていたのですが、多くの質問者がでたので、残念ながら発言の機会を与えられませんでした。しかし、同様の質問が他国の参加者から出されました。それに対して、残留放射線による影響については、まだよくわかっていない、研究途上であるというようなコメントで終わり。また、フランスから、核実験場の退役軍人の問題や、被爆者の補償問題をIPPNWとしてどう援助するのかという質問に対しては、被爆の様々な形態があることについては,ICRPの厚い本に色々書いてあるからそれを読むようにという的はずれ(はずし?)の回答でごまかしていました。

 会場のブースにフランスの代表であるBehar博士が訪れました。彼は、日本の原爆症認定集団訴訟でのキャンペーンに興味を持っていると話しかけてきました。彼は核実験に動員された退役軍人の放射線障害の補償問題に関わっていて、日本の被爆者の認定問題と同様な問題を抱えているとの認識を示し、日本での認定をめぐる運動についてフランスの退役軍人の補償問題のキャンペーンの場で報告してほしいと求めてきました。フランスでは、被爆者のことはよく知られているが、現在被爆者がおかれている状態、十分な保証がされていないという問題は知られていない。それを、知ることで原爆の被害の問題、核実験被害の補償の問題をフランス国内で、さらにはヨーロッパの中に広げてゆきたいと言っています。今後は、反核医師の会、被団協、原水禁、民医連で連絡を取りながら対応を考えるとお返事をしてきました。

 また、核廃絶へ向けてのNGO役割というワークショップで、沖縄の武居先生が「北東アジアの非核化のために」という内容で発言され、東京反核医師の会員の渡植先生の準備された横須賀港の原潜母港化の問題についても触れていただきました。

 今回のIPPNW世界大会は、学生が非常に元気に活動しているというのが特徴でした。長崎の医学生で一度「つどい」にも来たことがある学生が、日本でももっと日常的な活動ができるようなネットワークを作りたいと言っていました。彼らの中から、私たちの運動をともに担ってゆく医師が育つように、何らかの形で援助できると良いなと思います。

 また、はじめのところでも触れましたが、IPPNWの今後の進む方向性をどうするのかが課題なのかとも思います。東南アジアやアフリカでは、地域紛争や内戦の問題(小火器や地雷などの被害も含めて)が重要課題であったり、ヨーロッパでは核エネルギーの問題や、チェルノブイリから20年ということが話題の中心であったりと温度差がある感じです。そういう中で、日本からの参加者がもっと発言をしてイニシアチブを取ってゆくことが必要なのだと思います。個人的にもまだまだ準備不足(語学力も含めて)で、何を獲得目標とするのかをはっきりさせて参加する必要があるとあらためて反省しています。

愛知 堀場英也

 保団連・事務局から平山氏と橋本君が出席。関西空港と中部国際空港と2班に分かれて出発。私は、中川、山本医師と通訳の野崎、鈴木さんの2人、合計5人で中部空港を7日(木)の午前11時に出発。ヘルシンキには殆ど同時刻に着く。古谷純子添乗員さんの案内は勿論、関西弁よろしくバスで案内され、ホテルへ着く。殆ど顔なじみの皆さんで「和気藹々」でした。大会会場で、会員登録を済ませ、レセプションに出席。その席でカナダのアッシュフォード女医に会えた。彼女はいつもロビー活動に忙しく駈け廻っていた。しかし、情勢はなかなか、好転しなかった。マレーシアのマッコイ共同会長にも会えた。丁度、七年前のアジア北東地域会議が北京で開催され、私も出席した。日本では東海村の事故があり、「新ガイドライン法」が強行採決された年であった。富樫事務局長(新潟)が、日本の情勢のことを述べましたが、日本支部の医師が、「そういう考えもあるが」と反論、一時しらけたが。その前に、マッコイ会長から非常にきびしい日本に対する危惧念の発言があった。無理もない。マレーシアは、嘗ては日本の経済援助を必要とし、日本政府べったりであった。15回のワシントン大会で、共同会長となり挨拶された。その後での北京での発言であった。

 そして、今回のヘルシンキの大会では、マッコイ氏はリタイアを宣言。残念ではあるが潔い身の引き際で、日本の武士道を彷彿させる。児嶋先生と2人で、寄せ書きをさせて頂いた。マッコイ氏の次の共同会長はアフリカからで、地方会議はモンゴルのウランバートルで開催と。もう1つの話題は、昨年広島で、地域会議が開催され、中川氏と小生が出席ときのこと。ABCCの後の放影研の横路謙次郎氏(被爆者)は約10年以上に亘って中国の医学生(主に北京大学)に被爆の実相の教育訪問をされた。北京、ネパール、モンゴルから学生が10名程来日し、壇上で挨拶。やっと北京大学の掲示板に被爆者の写真パネルが掲示されることが決定した。百聞は一見にしかずが、若者に一番必要と感じた。ミホ・シボさんの話の中で、実家は金谷の魚問屋であった。原爆まぐろで、廃業。外国語の仏蘭西語を勉強。仏蘭西人のご主人と、新婚旅行に広島へ行き、原爆資料館でショックをうけ、ご夫婦で反核の決意をされたと・・。

 最後に、この現状を打開するために、今こそ、日本の運動が世界の人々から求められている事を痛切に感じています。

沖縄 武居 洋

IPPNWとのかかわり

 1981年第1回世界大会がヴァージニア州のエアリーハウスで開かれた頃、私は長崎大学医学部に務めていたが、長崎の被爆者運動にも積極的に参加していた。1980年頃から、米国とソ連の医師が呼びかけて、軍縮・核戦争阻止のための国際会議を開く話がもちあがり長崎から原爆症研究の専門家として市丸道人氏を代表に送り出そうという話になり、その準備にもかかわった。広島からは大北威氏と庄野直美氏が代表にきまり、この3名が、エアリーハウスに向かったのである。そのとき日本代表が報告した被爆者の実態があまりにも深刻であることに、各国からの参加者一同強烈なインパクトを受けたとのことであった。その後のIPPNW世界大会において、日本代表団は唯一の被爆国の代表として終始「核兵器廃絶」を訴え続けてきたが、大会の流れは、当初は必らずしもそうはならず、「核凍結」や「核実験禁止」などが、大会のメインテーマであったりした時期もあった。

核兵器廃絶が大会の死活的緊急課題に

 1994年にはIPPNWが「核兵器廃絶2000」キャンペーンに乗り出し、明確に核兵器廃絶が死活的緊急課題になってきた。私は1999年第13回大会(メルボルン)、2002年第15回大会(ワシントンD.C)、2004年第16回大会(北京)および第17回の本大会に参加してみて、発言する指導者が皆、ヒロシマ・ナガサキを原点として踏まえ発言していることを心強く思うのである。ちなみに今回の大会の閉会宣言の冒頭には「60年余り前、米国による広島・長崎への原爆投下は、わらわれ人類が死を間近にして生きていることを世界に告げた瞬間であった。…」とある。

大会での私の発言について

 「北東アジア非核化のために」というテーマでペーパーを用意し、この中では私は主として政府レベルでの非核化の交渉はどうあるべきかについて述べている。9月9日のワークショップ17のテーマが「核兵器廃絶に向けてのNGOの戦略について」であったので、これに参加することにした。参加者は30数名であった。私のペーパーは事前に参加者に配布し、発言時間は数分ということだったので、NGOレベルの運動として、緊急時にはいつでも核基地化されうる沖縄の辺野古新基地建設や、横須賀への原子力空母の入港と、その空母化への転用を阻止する戦いについて特に強調して述べ理解が得られたものと思う。討論の途中で丁度タイミングよく、その前日の8日にカザフスタンなど中央アジア5ヶ国が中央アジア非核地帯条約に調印したとの明るいニュースが報告されたことは、私の発言テーマとも関連があり、よかったと思う。

大会で印象に残ったこと

 1)共同代表のDrマッコイもDrウェストバーグも演説の中で米国の単独行動主義を痛烈に批判していたこと。
 
2)核兵器がテロリストの手に渡る危機について話されたことなど。

核戦争防止千葉県医師の会代表世話人 花井透

 2年前の北京大会では、2005年4月から5月に開かれる「核不拡散条約(NPT)」再検討会議に向けて、核保有国が核兵器削減の約束を実行するように、世界各国で世論の喚起に努めることが強調されました。しかし残念ながら再検討会議は具体的な成果を上げることなく終わりました。それどころかインド、パキスタン、イスラエルにとどまらず、あらたに北朝鮮、イランの核開発が問題になっており、NPT体制の崩壊すら危惧されています。

 しかしこの大会の基調は、(1)核兵器廃絶はますます緊急な課題であること(2)アメリカの一国大国主義、ダブルスタンダード、それへの追随は批判されるべきであること(3)世界の国々、地域、民族の多様性を認め合うこと(4)運動の基本は「アメリカ軍国主義」と「世界の市民社会」(NGOの連携、連帯)の二つの勢力のせめぎ合いとなること(5)若い医師、学生への継承が欠かせないことなど、情勢をリアルに捉え今後のIPPNWの方向を明快に指し示すものでした。

 それはこの二年間の世界の動きが誰の目にも明らかなものだったからです。核兵器廃絶を拒み、核抑止力を信奉し続けるだけではなく、核先制攻撃を公言している勢力、またテロとの戦いと称してアフガン、イラクへ戦争を仕掛け、罪のない多くの市民、子供たちの殺戮を続けている勢力、そして何よりもグローバリゼイションという石油をはじめとする世界の資源や労働力を確保することを目的とした政策を押し進めている勢力、こうしたアメリカを盟主とする勢力の政治・経済戦略こそが南北問題を深刻化させ、世界市民の安全と平和を脅かし、核兵器廃絶というIPPNWの目標への接近を妨害しているのだということを認識したからです。そしてそもそもこうした戦略こそが絶え間のないテロを生み出しているのだということを多くの仲間たちが語っていました。

 以下いくつかの発言をピックアップしてみます。

* 核兵器の先制使用を公言している国こそ“ならず者国家”と言わなければならない。アメリカ建国の精神は何だったのか。今のエリート政治家たちは何をしようとしているのか。アメリカこそ核兵器ゼロへのロードマップの先頭に立たなければならない。IPPNWは世界の世論を喚起しつづけるが、鍵はアメリカ国内の世論、有権者がどれだけ政治家に圧力をかけられるかだ。2020年までに核廃絶条約を(マッコイ共同会長)

* 劣化ウラン弾に関する国際的な取り決めがないのは問題だ。核所有国の軍縮への努力は欠かせない。EUの今年度下半期の議長国として中東問題のイニシアチヴを取っていく。NGOは社会を安全で住みやすくするための重要な役割を持っている。皆さんの後押しがほしい。(フィンランド外相)

* 核兵器の廃絶を宣言した国から来た。不平等の中の人がテロをおこす。小麦のとれない国々があるアフリカ。分断ではなく、多様性を認めながら統合を(南アフリカ)

* 自由化という名の経済の爆弾を落とすことが平和を作ることになるのか(モンゴル)

* 経済のグローバリゼイションのネガティヴな面は、発展途上国に現れるだけではなくてアメリカ国内でも人々を新たな貧困に追いやっているのだ(アメリカ 女性)−私はアメリカの尻馬に乗っている日 本国内も同様であることを考え合わせ、彼女に1人大きな拍手を送った−

* 外交力ではなく軍事力に頼る状況がまだまかり通っている。アメリカは超大国。しかし、だからといって倫理的に優れているわけではない。国連は、無能な組織として無視されてはならない(ラメシュ タクール、国連大学)

日本の被爆者の原爆症認定集団訴訟は、大阪、広島と素晴らしい判決が出ました。それをフランスの医師が我が事として注視していることがわかりました。アルジェリア、南太平洋の核実験にかかわった退役軍人の放射線障害に関して、彼等を放置している政府の責任を追及し、援助したいというのです。千葉の裁判も勝たなければならないと思いました。

ヒバクシャをこれ以上つくらないためには、予防=核兵器廃絶しかありません。

これからの大きな課題として2つのことを感じました。1つは学生へのアプローチです。30ヵ国から150名以上、全参加者の3分の1は医学生等が占めていたのです。若い医師への働きかけをも含めて各県の会のテーマでしょう。もう1つは中国、南北朝鮮からの参加が見られなかったことです(中国の医学生は参加していましたが)。IPPNWの運動、特に北東アジアの運動にとってこの3つの国の関わる重みは大きなものです。当会の国際活動の1つに位置づけ、これまでの人脈を頼りに何らかの芽を育てていく努力が望まれます。

耳原総合病院 平林邦昭

 9/7から、9/10まで『医師の使命 戦争か健康か』をテーマに、フィンランドの首都ヘルシンキで開催されました第17回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)に、大阪民医連から3名で参加いたしました。開催国が久しぶりに核兵器非保有国でありフィンランド外務省が今大会を積極的に支持してくれ大成功であったと思います。


1. アルアリ先生との出会い。

 毎晩大会主催の晩餐会(交流会)が開催されましたが僕も食べることも忘れて積極的に海外代表に話しかけてゆきました。偶然1人でおられるアラブ系の方に話しかけたところ、何と『イラクの子ども達』の映像を我々に送ってくださったイラク:バスラ小児病院のアルアリ先生だったのです。先生もIPPNWの会員だったのです。先生から送っていただいた写真を国内で紹介している者の1人です、と固い握手をして日本代表団に紹介しました。その時は代表団でもちょっとした騒ぎとなり先生を大歓迎し、以後先生も連日すっかり我々と打ち解けておられました。

2.核兵器廃絶の原点に立ち返れ。

 8日から全体会議と、25にも及ぶ分科会が開催されました。全体会議では「核兵器廃絶は緊急の人類の安全保障の目標であり、あらゆる方面から運動を推進してゆくことが重要で、これを遅らせることはできない!」と強調されました。

 IPPNWの創設者の一人であるロシアのチャゾフ博士は、「冷戦終結後IPPNWは、原子力発電、地雷、小火器の問題、南北問題などに話題を拡大してきたが、我々IPPNWの真の目的は、核兵器を廃絶してゆくことなのだ。医師が、リーダーシップをとり科学者としてグローバルに世論に訴えてゆくことが重要だ。」と述べられました。老齢の博士が力強く訴えられたのには感動しました。

3.憲法9条よ、世界へはばたけ!

 3日目の「核廃絶をめざすNGOの戦略」で、僕は耳原総合病院で作成した憲法9条のTシャツを着て英語で発言しました。胸の9の字を指さしながら、「日本政府は、この9条を変え、日本をアメリカとともに戦争できる国に変えようとしています。先の大戦の痛恨の反省から世界でも稀な平和憲法9条が生まれたこと、この9条を守ることは東アジアだけではなく世界平和のためにもきわめて重要で、世界各国で9条を守る運動を広めていってください。」と訴えました。また、夜の交流会でも、僕が胸に大きな「9」のついたTシャツを着て、大阪民医連研修医の中川先生が背中に9条の全文の英訳が書かれたTシャツを着て各国代表に話しかけてゆきました。僕が正面を向き、中川先生が背中を向けて回っていったのですが、みんな真剣なまなざしで9条を読んでくれ「国に帰って是非伝えます。」、と約束してくれました。。

4.患者さまとともに。

 世界医師会会長がすばらしいことを言っていました。「核兵器廃絶は一般の人々の力で成し遂げられるのです。医師は対話といういしずえで人々と一体になれます。患者さまを通して反核平和を市民に訴えてゆくことが重要です。我々は行動を起こさなければなりません。」と。僕も、患者さまにIPPNW参加とカンパを訴え、皆様も快く協力してくださいました。本当に感謝の気持ちで一杯です。そして、この感動を報告集の形で皆様にお返しし、患者さまとともに核兵器反対を考えてゆくことがさらに重要だと思います。

5.美しいムーミンの国。

 どこまでも澄みきった青い空、青い海。フィンランドは美しい国でした。閉会式のあと、ヘルシンキから船で20分の小島、世界遺産でもある海上要塞スオメンリンナ島をみんなで訪れました。フィンランドは中世からスウェーデンに占領され18世紀からはロシアに占領され、20世紀初頭にようやく独立した、という歴史があります。そして、スウェーデンとロシアはフィンランドを戦場にしました。このスオメンリンナ島はスウェーデンがロシアと戦うために作った要塞なのです。美しい島に多数すえられた大砲、城壁の跡と青い空、海はあまりにも対照的でフィンランドの歴史的悲劇を理解できると同時に戦争のむなしさ、無意味さも強く感じさせられました。

6.『大阪反核医師の会』の結成へ

 今回の参加者が中心となり、より継続的に反核平価活動に取り組んでゆく第一歩にします。被爆者や、劣化ウラン弾の問題を医師が中心になって考えてゆく場にしてゆく所存です。皆様のご協力をよろしくお願い致します。

東京・大田病院 中泉 聡志

 米国がテロ根絶の名目で無法な暴力で、罪のない多くの犠牲者を生み出し、唯一の被爆国の日本では憲法9条を改定して、米国とともに「海外で戦争をする国」につくりかえる策動が強められている情勢の中、『Mission of Physicians: War or Health? 』というテーマでIPPNW世界大会がフィンランドのヘルシンキで開催されました。初めて訪れたフィンランドは、厳しく長い冬を間近にし、少し肌寒く感じましたが、北欧のきれいな街並と乾燥した空気、非常に強烈な日差しが印象的でした。

 到着翌日からCongress Hollで世界大会が始まりました。大会には世界43カ国から多くの医師・医学生が参加していました。opening ceremonyでは、フィンランド外務大臣、McCoy会長、世界医師協会会長とすばらしいspeechが続きました。「人類は61年前に核の道に突入し、市民を人質にした核による抑止力は危険な幻想」「米国をはじめとする大国は、核廃絶どころか、新たな核開発・拡散させている」「核技術も売買され、新たに核を保有する国も」あるが、「今日の現状は、人々の健康に影響を与える核について沈黙してきた世界に900万人いる医師の怠慢」「医師は社会に対して集団的責任があり、リーダーシップを発揮しなければならない」「貧困や不平等、格差は、人々を分断し、テロや紛争を巻き起こす。だから医師はそれを断ち切らなければならない」「医師は社会に変革をもたらし、弱者に変わって声をあげていくべき」と発言がありました。

 全体会議では1) Nuclear abolition and the campaign for a Nuclear Weapons Convention 2) Small Arms and the public health impact of war 3) Energy securityが大きな課題となっていました。振り返ると10年前国際司法裁判所は、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」との判断を下した上で、全ての国家には、全ての局面において核軍縮につながる交渉を、誠実に行い完了させる義務がある」と述べました。核保有国が率先して、誠実にこの義務を果していれば、既に核兵器は廃絶されていたはずです。

 しかし、この10年間、世界は全く逆方向に進んできました。暴力が暴力を生み、報復の連鎖となり、単独主義の米国は、この約束を履行しないばかりか、核兵器の先制使用さえ辞さない態度で国際社会に臨み、また、小型核兵器の研究に着手すると表明しています。さらに、北朝鮮がNPT脱退を宣言し、核の保有について発言するなど、NPT体制は崩壊の危機に瀕し、核兵器廃絶への展望が開けない状況にあります。さらに2005年NPT再検討会議では、米国の妨害で何ら効果的な声明を採択できずに終了しています。

 その困難な状況下で、広島市・秋葉市長は「世界平和市長会議と共に、核軍縮に向けた『誠実な交渉義務』を果すよう求める『Good Faith Challenge』というキャンペーンを『2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)』の第二期の出発点として位置付け展開します。

 さらに核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める『Cities Are Not Targets』プロジェクトに取り組む」「核兵器は都市を壊滅させることを目的とした非人道的かつ非合法な兵器です。自治体首長の役割は、これまで都市を人質として利用してきた『核抑止論』そして『核の傘』の虚妄を暴き、人道的・合法的な立場から市民の生存権を守ること」「マイナスの感情は健康を害し、暴力では何も解決できない。話し合いで平和、医療の増進をはからなければならない。我々は平時においても、暴力に立ち向かい、正義を貫かなければならない」と発言がありました。他にも興味深いwork shopがたくさんありました。

 世界から集まった多くの核廃絶を願う人たちの想いは、言葉や文化が違ったり、年齢が違ったり、思想・信条の違いなど多くの相違点を持っていても、世界中の人々の共通の想いであると感じました。核兵器廃絶、平和な社会を作るために各地で活動を重ねています。エネルギー問題では、多くの化石燃料を消費した結果、環境を変化させ、いくつかの国ではその解決策として原子力発電が注目されています。しかし、原子力発電は核兵器への転用も危惧され核拡散の道を開きかねません。その一つの回答として、ドイツでは様々なクリーンな再生可能なエネルギーへの転換が進んでいることが報告されました。個人的に非常に反省し、考えさせられた発言でした。

 closing ceremonyでは、「平和と福祉、環境問題など様々な問題を我々の時代で悪化させる訳にはいかない」「一部の人たちで戦争は始められ、多くの人がそれに従う。多くの人の死を生み出す戦争はあってはならない。genocideに終止符を!」「医師はリーダーシップを持って、科学者としての知恵をグローバルに世路に訴えていくことが重要」「世界を見る際、大きな勢力として『米国軍国主義』vs『市民社会』という対立軸がある。米国に対して力を間違った方向に発揮しないというメッセージを」「よりよい世界はつくることができる。よりよい世界は、すぐそこまできている」と呼びかけ大会は終了しました。

 結局のところ、世界平和を唱える米国は、核を保有し、世界の脅威となっている。世界を支配しているかのようにdouble standardをかざす米国のみが利益を得て、一般市民には貧富の差が広がり、不平等、疫病、環境問題などを引き起こし、新たなテロリズムや紛争を生み出している。つまり、暴力は人を切り離し、暴力とテロを生み出すのみで多くの市民の自由が押さえつけられている中では本当の平和な社会や民主主義は育たないと感じずにはいられませんでした。それに追随する日本も同様です。しかし、多くの人たちの平和への想いは同様で、みんなが一つになれば世界の各地で彼らによって行われている、小さな草の根運動が周囲の人々を動かし、国をも動かし、そして世界を動かす力になることも実感することができました。帰国後は、これまで日本の平和運動を担ってきた諸先生方からさらに多くを学び、その想いを引き継げるよう活動を広げていきたいと思います。社会は変わるし、変えられる。人々の命と健康を守るために、社会に貢献することが『Mission of Physicians』と確信しました。

愛知 山本節子

 2年前の北京大会に続き2度目のIPPNW世界大会参加ができたことがまず、たいへん光栄です。会場では、北京大会で見覚えのある人も多く、参加者数が全部で480人、日本からは50人を超えての参加で、さすが唯一の被爆国とあって、他国に類のない核廃絶運動への熱心さが反映されていました。 フィンランドは人口500万余りの面積は日本より少し小さい国で、最近はよく国際会議の場として ヘルシンキが開催地となる機会が多く、この同じ時期にアセムの首脳会議が平行して行われ、厳重な警備体制のなかで町の様子も普段と少し違っていたようです。 豊かな福祉、特に最近では教育水準の高さで知られるフィンランドは、大学まで学費は無償で医療費もわずかな個人負担という、また子育て支援も保育など負担無く出生率はヨーロッパで一番高いほうと、日本との違いが際立っています。 わずか5日間の滞在でIPPNW大会に参加して過ごすだけで帰るのが残念でしたが、いろんな面で学ぶべきものがある国です。

 開会式の入り口で超ハイヒールを履いて3m近くの背丈をしたサーカス団の一員であろう娘さん達の歓迎を受け、続くスピーチ毎の合間に2−3人のサーカス団の曲芸が取り入れられており、 その前のサーカス見物にきたのかなというふしぎな雰囲気でした。   趣向を凝らした開会式の中、フィンランドの外務大臣がスピーチをするなんて驚きでした、北京や日本ではNGOのこうした小規模な国際大会に政府高官が出席することなどあり得ないことですから。          

 北京大会以降、核をめぐる状況はかなり悪化の一途をたどるといわざるを得ない。なかでも、アメリカの小型核兵器開発着手、インド、パキスタンの核実験そして北朝鮮と、NPT条約が完全に破棄され、アメリカと敵対する国がイラクと同じことにならないように真剣に核保有を準備する状況に至っている。 まだ控えめながら、世界の核政策の誤りを正すにはアメリカの核開発と外交戦略をまず取り上げる必要があると指摘する発言が良識ある人たちから繰り返されてきたのですが、 IPPNW議長のことさら強調した指摘で、核廃絶がさらに困難になっている現状を再認識しました。 とりわけ、これまでの核抑止のための核保有より、一段と危険な使用できる核兵器を持つというアメリカの態度は絶対に受け入れられないものです。

 全体会で発言された秋葉市長の非核自治体を増やして核廃絶を進めようという提案は、国レベルの核廃絶が困難すぎて希望が持てない今、希望をつなぐロウソクの炎のようですが、被爆国として私たちに課せられた責任は本当に重いまた価値のあるものだと信じてこうした努力を続けて行きたいと思います。 地道ながら、会場入り口でブースを設けて、反核医師の会が核廃絶署名を集め続けてきたことも重要な草の根運動だと思います。

 核廃絶のほかに、環境問題や小型武器、エネルギー資源問題などにも関心を持っていく必要が指摘されました。従来の戦争が、資源確保でおこされてきたことから、核兵器保有も資源を確保するために利用されうるし、戦争の脅威にまして、環境悪化、温暖化の影響も人類への脅威として無視できないため、関連づけて多面的に行動していく必要があるのは異論の余地がないと思います。特に、核兵器にも原子力発電にも関わりのない国でも資源や温暖化問題では相当な影響をうけるため、また小型武器ではアフリカの内戦や中南米諸国でもさまざまな被害が日常的に起こっていて深刻な脅威となっています。 温暖化の元凶により責任を持つ経済大国は兵器を売ってさらに豊かになることができるが、その先の貧しい国では小さな子供を含む多くの犠牲が生まれている状況が忘れられてしまっているのです。 近年のヒットであった地雷廃止(アメリカ、中国など批准しない国もまだあるけれど)のように、被害を広く知らせることで現実に廃絶を達成できるという実例に学んであきらめずに取り組む必要があります。

 参加者名簿が配布されたのでよくわかったのですが、中国からの医学生が5名ほど参加、パレスチナ、イラク、イランや北朝鮮からも参加していました。 反省としては、交流の持てた人と帰国後の連絡ができやすいようにE−メールアドレスをつけた名刺を準備して必ず渡すことが不可欠だと思いました。 次回はインドで開催されるそうですが、是非また行きたいのと、より多くの人、特に若い人に参加してほしいと思います。 最後に、今回の大会では、核兵器を廃棄した唯一の国、南アフリカからの参加もあり、その貴重な経過についてもう少し詳しく知りたいと何度も声をかけてみたのですが残念ながら機会を逃しました。 

 どれも興味深いものでしたが、各分科会の時間枠が短いため、質疑や討議の時間が十分取れないのが残念でした。