大阪にて2000年10月21日 

※この翻訳は「核戦争防止和歌山県医師の会」の協力によります
※Track番号はこの講演の記録CDの番号です
※小見出しは、翻訳者が便宜上、挿入したものです

 

21世紀のIPPNWの戦術と日本の反核運動に期待するもの

「第11回核戦争に反対し核廃絶を求める医師・医学者のつどい」特別講演

メァリーウィン・アシュフォードIPPNW共同会長

はじめに (Track -1)

( 訳省略 )

我々医師の責務は人々の苦しみや死をやわらげること (Track -2)

二十年前、当時は冷戦の真っ只中でした。ごく少数の医師がこれまで敵について一般に正しいと思われていた考えに疑問を投げかけました。そして、核戦争防止を決意した医師の組織を設立したのです。当初からIPPNWは核戦争に対して有効な医学的対応策はなく、予防だけが理にかなった方法であるという事実に焦点を当てていました。

さて、私たちはたまたま医師だという活動家の集団ではありません。私たちはまず医師なのです。そして、私たちの責務は人々の苦しみや死をやわらげることなのです。その責任を世界全体で果たすとなると私たちは核戦争による究極の人の苦しみや死というものを予防しなければなりません。私たちの宣伝活動の武器は研究や教育です。私たちにふさわしい貢献とは医学的な技術、専門知識と倫理によって戦争を予防することです。

私たちはノンパルチザンであり、紛争に関しても中立の立場です。でも、悪を眼の前にして黙ってはいないでしょう。そして、通常戦争の予防なくして核戦争の予防はできないと考えています。

IPPNWの誕生とノーベル平和賞の受賞 (Track -3)

ご存知のようにIPPNWは二人の世界的に高名な心臓専門医(米国のDrバーナード・ラウンとソ連のDrエルゲイ・チャゾフ)によって設立されました。医学生の方もここにいらっしゃると思いますが、バーナード・ラウン氏は心停止時に使用する除細動器を発明した人です。このカリスマ性のあるリーダー達が世界中の医師に呼びかけ、二十万人以上の医師が運動に参加しました。IPPNWは1980年代初期に何度か、世界会議を鉄のカーテンの両側で開催しました。そして、それは世界中のマスコミの注目を集めました。

1985年にIPPNWは、核戦争防止のためと患者さんのためにイデオロギーの壁を越え、米国とソ連の医師達を結集させた功績によりノーベル平和賞を受賞しました。

89年には、IPPNW世界大会が広島で開かれました。私たちの脳裏には今も広島のイメージが焼きついています。原爆資料館:太陽より強い閃光をあび一瞬にして消えた人影が写った敷石、想像を絶する地獄を語られた被爆者の方々の声を、私たちは忘れることができません。

1989年にベルリンの壁が崩壊し、91年にはソ連が崩壊しました。それに伴い、市民の大多数は心底ホッと一息つき、他の活動へと方向転換してしまったのです。平和団体は他の社会活動と同様、環境問題や人権問題、その他の急を要する問題に関心が移ったのです。91年以降、IPPNWの会員数も大幅に減少しています。そして、核問題に関する様々な市民によるイベントも、特に北米では、極端に減ってしまいました。

実際は軍縮が進んでいないと切実に感じていた熱意に満ちたIPPNWの活動家医師達は、国連での努力をさらに強化することになりました。その後も、様々な研究報告書の発行を続けました。例えば、軍国主義が健康に与える影響、プルトニウムの生産、低レベル放射線、偶発事故であれテロの攻撃であれ核戦争の脅威、またボンベイに核爆弾が投下された場合に健康に与える影響、今も続く対人地雷による惨状などについて発表してまいりました。

現在のIPPNWの活動 (Track -4)

私たちIPPNWが現在取り組んでいる課題は、核兵器・生物化学兵器・小火器――これは新しいプログラムで、強力なアフリカの支部があるからできるのですが――・地雷・原子力発電それから経済制裁が公衆衛生にあたえる影響などです。

 IPPNWはいくつかの国際的な軍縮キャンペーンに加わってきました。その中から、NGOが国際問題で非常に大きく力をつけてきたということを知っていただくために、大成功をおさめた二つの例をご紹介したいと思います。皆さんよくご存知だと思いますので手短に話しますが、医学生の方もいらっしゃるので繰り返しお話をするのも良いかと思います。

最初のストーリーです。 これは国際司法裁判所(ICJ)に関してなのですが、1987年にニュージーランドで医師と法律家の活動家の小さな集まりがありました。そのディナーの席で核兵器について話をしていました。ある医師が「核兵器は国際法に反していると思いませんか?もしダムダム弾が国際法違反なら、絶対に核兵器が合法的であるはずがない」と言ったのです。すると、弁護士が「その通り。でも、国際司法裁判所が違反だと宣言しなけりゃ、何にもなりませんね。核兵器は違法だと判断されない限り、国の態度に何もインパクトを与えないでしょうからね」と言いました。そこで、この医師連中は「じゃあ、この問題を国際司法裁判所に提訴しよう」と決意したのです。

でも、これは実は難問だったのです。と言いますのも、個人は国際司法裁判所に意見を求めることができなくて、国家もしくは国連の機関だけが可能なのです。そこで「よし、わかった。それなら、国連総会に働きかけ、国際司法裁判所へ問題提起させよう」となったのです。

1988年、ニュージーランドのIPPNWの支部が、この決議文を持ってIPPNWの会議に参加し、支持を訴えました。私はよく覚えています。これは満場一致で可決されました。でも、私たちの多くは「これは突拍子もない考えで、きっとどうにもならないだろう」と思っていました。ところが、そうではなかったのですね。世界中をかけめぐるすばらしいアイデアだったのです。何百万人という人たちが「国際司法裁判所に(核兵器使用の)適法性について勧告的意見を出すように要求する良心の信念」宣言に署名をしたのです。人々は「核兵器は耐えられないものであり、禁止されるべきであるというのが私の良心の信念です。国際司法裁判所は(核兵器使用の)適法性について勧告的意見を出すように要求します」とする宣言に署名したのです。日本だけでも300万もの署名が集まりました。そして、確か400万だったと思いますが、その署名が市民の良心の証として国際司法裁判所に提出されたのです。国連総会も国際司法裁判所にこの問題を出しました。そして、14ヵ月後には「一般的には核兵器の使用および威嚇は国際法の下で違法である」とする勧告的意見が出されたのです。

この勧告的意見が重要であることは、先の5月に開かれたNPT(核不拡散条約)再検討会議で非常に明確になりました。非核保有国のほとんどが、その提案の中で、この(ICJの勧告的)意見を引用したのです。これによって核保有国は世界の他の国がその意見を非常に決定的な法的解釈であると理解しているということを知りました。おそらくまた質疑応答の時にでもお話ができるかと思いますが、英国の女性で「シビル・ディスオビーディエンス(市民の不服従)」という活動をしている人々がいます。この人達は実際に刑務所に送られました。しかし、その公判の弁護の中で国際司法裁判所の意見を引用し、三つとも無罪判決を勝ち取ったのです。これらは国際司法裁判所の決定の非常に重要な適用例だと思います。

(Track -5)

二番目のIPPNWが協力した市民社会によるパワフルな活動例は、国際地雷禁止条約キャンペーン、ICBLです。私は第一回の組織委員会に参加しました。ロンドンでありました。NGOは、いかにお金がないかを知っていただくためにお話しますが、会議の参加費は一日が一泊して35米ドル、三食付いてですよ。(笑い) 50名が参加し、みなさん組織のトップクラスのリーダーでした。例えば、国際赤十字、IPPNW、ハンディキャップ・インターナショナル、ベトナム退役軍人協会の人たちなどです。みなさん、今までに見たこともないほど優れた戦略家でした。三日間の話し合いの結果、各国でキャンペーンを進めていくための非常に詳細で構造化された計画ができ上がりました。そして、最終日に各自に任務が与えられたのです。「あなたたち医師は外科的な写真を出して欲しい。そうすると、地雷がどれだけ悲惨なものかわかるでしょう」、「あなたたちジャーナリストは地雷の被害者の話を書いて欲しい。カンボジアの小さな子供たちや女性の」、英国の地雷除去活動をしている人たちには「あなたたちの話が要るのです。地雷除去という非常に危険な作業中に実際にケガをしたり、命を落とした人の話が必要なんです。そして、地雷がどのように作用し、その結果どうなるかを知る必要があります」と。6ヵ月後のことです。最初の記事が週刊誌に掲載され、他の国の週刊誌にも出ました。このキャンペーンは瞬く間に世界に広がっていきました。特にダイアナ妃がこのキャンペーンの宣伝をしてくれたおかげで、運動は更に急速に広がっていったのです。そして、ついにカナダのロイド・アクスワージィー外相が同じ意見の国をオタワに招き地雷会議を開こうと言い出しました。97年のことです。92年から97年という五年間、世界中でキャンペーンを繰り広げたのです。これはNGOが政府と密接な協力をし、こういった行動力を示せるのだという良き一例だと思います。

許してはいけないNMD (Track -6)

現在、私たちの(核廃絶という)課題に関して問題は非常に複雑です。例えば、警戒態勢の解除、核削減の非可逆性、査察、核分裂物質の処分と取り扱い、そして原子力発電との関連もあります。しかし、一番大きな問題は「米国が核兵器を持ちたいと考えている」ということです。もし、米国が核軍縮をすれば他の核兵器保有国はそれに続くでしょう。アメリカが核兵器を廃止しなければ、他の国も廃止しないでしょう。米国はいつでも現実的な軍縮進展への道を全て妨害しています。ご存知のように、ジュネーブの軍縮会議はもう2年間完全に麻痺状態です。一切の話し合いが行われていません。

さて、NMD(米本土ミサイル防衛)に関してですが、アメリカは軍拡をエスカレートさせる路線をとっています。 次の段階では軍拡が宇宙にまで持ちこまれることになります。私は米国の宇宙部局のミッション・ステイトメントを参考にしています。ウエブページ(ホームページ)にあります。それには「我々の任務は、アメリカによる宇宙からの世界の軍事支配である」とあります。私、もうビックリしました。これを市民に向けて書いているのですよ。ホームページにのせてある文章を見たとき、信じられませんでした。

中国が懸念を抱いていることは疑いようもないし、中国は宇宙における軍拡防止を望んでいます。それが中国の今の国連での議論の中心です。米国のNMDプログラムの開発は、ABM(大陸間弾道ミサイル)条約の改悪や、新たな軍備競争を招くことになり、数十年来の核軍縮の進展を反古にしてしまいかねません。みなさんご存知かもしれませんが、NPTのレビュー会議がニューヨークで開かれていた時に、「the Bulletin of the Atomic Scientist」誌の記事で「米国は、ロシアに対してミサイル防衛計画を可能にするABM条約の修正に応じるよう説得している」という事実を暴露され、米国は非常にうろたえさせられたのです。また、アメリカはロシアに「ロシアはNMDをおそれる必要はありません。二千から二千五百発の核兵器で、アメリカの本土ミサイル防衛を容易に圧倒することができるのですよ」、「両国とも予見可能な将来までは核兵器を持ち続けましょう」と言っています。すなわち、米国はNPTレビュー会議で一つのことを言い、同時に、ロシアとの交渉では全く別のことを言っていたのです。中国は「アメリカがNMDを強行するなら、核兵器を増やすしかない」と言っています。

今、世界は大きな岐路に立たされています。もし、私たちがアメリカのNMDを許すならば、核兵器の廃絶はできなくなるでしょう。核兵器の警戒態勢を解除させ核廃絶への道を行くか、それともNMDと新たな核軍拡へ向かう道を行くか。両方の道を同時に歩むことはできません。

アメリカはNMD計画では、友好国と敵対国の両方から孤立しています。この状況は、この計画の発展を阻止するために、国際法で支持されて、自国の政府と共同作業をやるというかつてない機会をNGO社会全体に与えてくれました。NMDというのは「力の支配のみが安全を保証する」という世界観に基づいています。この考え方は、ほとんどの国で「国際法の強化と他国との協調によって安全を保障していく」という考え方に取って代わられています。米国もこの新しい考え方に加わるべき時です。

なぜ、アメリカは核を必要とするのか (Track -7)

いつも思うのですが、アメリカが核兵器への情熱を持ち続けているのは何故なのでしょうか。明らかに、核保有国が持つ力と特権ということがあります。このことは、私たちが99年にインドを訪問し、バジパイ首相とジョージ・フェルナンデス防衛大臣に会った時に見せ付けられました。彼らは「何十年もインドは核兵器廃止のために行動してきたが、いつも無視され、誰も注目してくれなかった。ところがインドが核実験をするや否や、米国は突然に代表団を送りこみ、国連でのインドの発言権が高まりました」といっていました。

二番目に、核保有国の大統領に与えられた個人的な権力というのは、普通の人には想像もできないことですが、全人類を滅亡させる可能性を持ったボタンを押す権力だということです。

三番目に軍事産業のロビー活動はものすごく強力で、タバコ産業以上です。この軍事産業のロビーに対抗可能な考え得る唯一の力は目覚めた市民の力です。そうなると、米国の市民社会は米国の政策を変えることができますし、指導者を変えることも可能になるでしょう。おもしろいことに、米国の世論調査では87%のアメリカ人は核軍縮に賛成しています。カナダでは92%が、自国政府が地雷禁止キャンペーンの時のように核廃絶の先頭に立つことを望んでいます。

大きな影響:有名人の発言(Track -8)

必要なことは市民を説得することではなくて、選挙に影響を与えるような世論の高まりを引き出すことです。 世論は、誰が語りかけるか、誰が聞き手であるかによって影響されます。米国では特にテレビの影響力が大です。例えば、有名人がある問題について発言すると、国民はすぐにそれを取り入れようとします。そういった有名人の中で私たちのキャンペーンに参加をしている人もいます。例えばマイケル・ダグラス、またピエス・プレスナー、それからシルベスタ・スタローンもそうなのです。びっくりしませんか。でも聞いてもらうためにはボリュームをもっと上げなければなりません。

去る5月に、私はアメリカのPSR(Physicians for Social Responsibility)主催のディナーに参加しました。彼らはCNN社主のテッド・ターナー氏に、彼の環境に関する業績を称え「Citizens of the Year」賞を授与しました。その受賞スピーチの中で彼は「1991年のソ連の崩壊によって、もう核兵器の事なんか考えなくてもよい。わたしの注目を環境に向ければいいと思った」、でも「今は、何百万ドルというお金を、核兵器を無くすことにつぎ込まなければならないと考えている」と言いました。もちろん、私たちは聴衆の中で立ちあがって大拍手をしました。このような巨大メディアの実力者がサポートしてくれると、核兵器廃絶キャンペーンも大きく変わるでしょう。

IPPNWの活動 (Track -9)

(次のOHP)これは、私たちが今行っているIPPNWのプログラムの一部です。まず政策決定者との対話、これについて少しお話します。毎年、IPPNWの代表団が、核兵器保有国の首都にまいりまして主要な政策決定者と話をします。この話はあとで詳しく述べます。

中堅国イニシァティブ、これは良くご存知だと思いますが、カナダのダグラス・ローチ上院議員がこのキャンペーンを始めました。超大国ではなくて中堅国を訪問して、かれらを説得し、力を合わせて、国連での立場をより強固なものにしようとしたのです。中堅国イニシァティブは、実はIPPNWボストンオフィスが始めたものです。それから、ハーグ平和アジェンダの四主要メンバーの一つです。

それから最後に、「健康を使って平和への橋渡しをする」という、さまざまなプログラムが、さまざまな支部で実施されています。特に、横路先生のイニシァティブで始まったIPPNWの北朝鮮でのミッションについて話したいと思います。1年前に私もその代表として行きました。

(次の写真)これは私たちがワシントンに行った時の写真でありまして、軍備管理の主要アドバイザー、上院議員、下院議員と面談しました。米国の(PSR)議長のDr.ピーター・ウィルク、それからドイツのDr.フォア、いちばん端はロシアのDr.コレスコンダレンコです。派遣する代表の中には、常に核兵器保有国のメンバーも入れるようにしています。

諸外国の首脳と面談 (Track -10)

これは私たちがロシアに行ったときの様子です。新しく再建されたばかりの新エルサレムと呼ばれる大聖堂で、代表団にはスウェーデン人、日本人、アメリカ人、ロシア人、カナダ人がいます。そして下の写真はアダモフ原子力相です。アダモフ氏とは何回も会っています。私たちのディスカッションは非常に温かく外交的で、和やかに始まりましたが、でも最後の会合では、私たちは更につっこんで議論し、核抑止力論には同意できないと言いました。すると彼は反駁してきました。そしてついに彼は頭に来て、書類を閉じながら「この会談は、もうお終いです」と言ったのです。で、私たちは彼と握手をして「どうもありがとうございました。来年またお会いしましょう」と言ってきました。

(次の写真) 外交的であることは大切なことですが、指導者にちょっと圧力をかけることも大事だと思います。

上はインドでの会合の写真で、コレズニコフ、シン・シルバストワ、ベハーおよび当時の共同会長達と私です。下はパキスタンでの、ある平和会議です。カラチで開かれました。七百名の指導的な知識人が集まり、どのようにすればパキスタンの核兵器プログラムを止めさせられるかということを話し合いました。パキスタンの識者の方々は自国のプログラムに非常に強く反対していました。

この写真は、バジパイ首相とインドで会った時の首相の部屋です。スウェーデンの医師そしてDr.ベハーも写っていますね。下は、国防相が自宅で開催してくれたディナーの写真です。そこで国防相に、「何故、核実験の実施を命令したのですか」という質問をする機会がありました。(国防相の)ジョージ・フェルナンデスは19歳から70歳まで、ずっと政府で仕事をしてきたが、この間、彼の仕事場にあった写真は、広島の原爆ドームと原爆資料館の写真だけだったと言っていました。彼の人生は核兵器を無くすことだとも言っていました。なぜ、それにもかかわらず核実験に同意したのかときくと「インドが第三者として大国の政策に影響を与えることは諦めました。大国の核政策に影響を与えるには核クラブに入る以外に道がなかったのです」と言いました。もちろん、私たちはそんなことに同意しませんよ!ただ、彼は誠実だったと思います。真実を知るのは難しいと思いますが、彼の言葉は真実だったと私は思っています。

新アジェンダ連合が大活躍:NPT再検討会議 (Track -11)

さて、5月にNPTの再検討会議が開かれ、松井先生も指摘されていたように、非常に強い調子で、すべての国に明確な核廃絶への責務を盛り込んだ最終文書が採択されました。しかし、期限が定められた枠組みが設定されなかったのです。それで、多くの人は核廃絶運動の敗北だと評価しました。でも、私はそうは思いません。非常に強い言葉で書かれています。NGOだけでなく、小さな国、新アジェンダ連合と呼ばれている国々------メキシコ、エジプト、南アフリカ、スウェーデン、ニュージーランド、アイルランド------こういった国々の活動の成果だと思います。

この時、私はニューヨークにいました。私たちはもちろん会場には入れなかったのですが、大使が廊下に出てきますと、しばしば中の様子を、少しですが、話してくれました。三週目の終わりには、核兵器保有国はもうエジプトに完全に憤慨していました。「あぁ、エジプトめ! エジプトが妥協しない! まるでピット・ブル・テリアだ」。ピット・ブル・テリアってご存知ですか。闘犬で、一度噛み付いたら絶対に離さないという物騒な犬なのです。エジプトはそんな国だというのです。終わりの頃にはこの六つの小国は、連日連夜、非公式に核保有国と会合を重ねました。そして、新アジェンダ連合は「皆さんが明確な核兵器廃絶の約束しなければ、会議の宣言を出せなくなるのですよ」と迫ったのです。それで、とうとう核保有国、特に米国が同意したのです。したがって、私は勝利だと思います。米国は、もし会議の最終局面などどうでもよいと考えていたのなら、そんなに真剣にはやらなかったでしょう。

国連での新たな動き:日本も新決議案を提出 (Track -12)

日本も、最近(国連)第一委員会に「核兵器完全廃絶への道」という題の決議案を提出しました。これはインターネット上でも公開されています。この案の文言はNPTの最終文章からとられています。そしてSTARTUの完全実施、核軍縮の非可逆性の原則、透明性、そして非戦略兵器すなわち戦術兵器の削減をうたっています。注目するのは、CTBTを2003年までに発効させることを求めていることです。しかし、この決議案では核軍縮についての普遍性の概念に欠けています。核保有国の明確な約束についてはふれていますが、最後の法的な拘束力をもつ文章の中にそれが書かれていません。NPTで述べられた中間段階の次に具体的に何をするかということは書かれていません。それから、米国、ロシア以外の核保有国については言及していないなどの問題があります。もし、日本が二回も原爆を落とされた国として、新アジェンダ連合を支持ではなく、参加するなら、これは大きな道徳のリーダーシップをとることになるでしょう。二日前、私は外務省の天野審議官に会いました。彼は「日本はNAC(新アジェンダ連合)の決議案には賛成しますが、NACには参加しません。時期尚早だと考えます。つまり、参加すると核保有国に対してあまりにも圧力をかけすぎることになる」と言うのです。

私は、自分の国カナダが賛成に投票しないのではないかと心配しています。二ヶ月前には棄権すると言っていました。アクスワージー氏がこの秋に、(国連で)賛成に投票してくれることを願っています。

注目して欲しいのですが、もう一つマレーシアから決議案が現在国連に提出されています。「核兵器の使用あるいは威嚇に対する国際司法裁判所の勧告的意見のフォロウアップ」という表題です。この決議は、国際司法裁判所の決議には誠実に従う義務があり、そのために厳密で有効な国際的な管理の下で全面的な核軍縮をするための交渉をおこなう義務があることを強調しているのです。そして核保有国はその責務を果たすために、核兵器条約締結に向けて交渉を開始しなければならないとしています。この決議案についても、やはり日本の支持とリーダーシップが求められているのですが・・・・・。

北朝鮮の現状 (Track -13)

皆さんご存知のように、今月、韓国の金大中大統領が、韓国と北朝鮮の再統一に向けての業績がたたえられノーベル平和賞を受賞しました。北朝鮮は今、扉を開きつつあります。新しいイニシァティブがほとんど毎週あり、代表団がさまざまな政府に派遣され、外交関係が樹立されています。ヨーロッパは北朝鮮の安定化のために経済支援を約束しています。

IPPNWの医師は北朝鮮に対して二つの任務を持っていました。私たちの会議にメキシコ会議以来参加しています。確か91年だったと思います。それで、北朝鮮の医師達は国外に出かけるようになり、私たちの代表達もまた北朝鮮を訪れるようになりました。私が初めて北朝鮮を訪れた時、悲惨な状況に驚きました。表面上は何もかもうまく行っているように見えるのです。建物も病院の機器も新しく、1991年には最新のものでした。六車線のものすごく広いハイウェイが走っています。しかし、石油がないために発電機が動かないのです。電力がきわめて限られているのです。1100床もある病院の中を見せていただきました。しかし、術後回復室には患者が一人しかいなかったのです。NICUにも、点滴をしている子供が一人いただけで、モニターも無く、ECGもありませんでした。検査室ではレントゲンも超音波もCTも動いていませんでした。現代医学を電気なしで実行するのは不可能です。医師の多くは伝統的な朝鮮医学に転向していました。それが、唯一患者を助ける方法なのです。

このスライドは、彼は有名な神経科医で、今は朝鮮伝統医学の病院長です。コンピューターはWindows95で、彼が朝鮮伝統医学の診断法でDr.イアン・マドックスの血圧を決めようとしているところです。何がおきているかスクリーンを見ればわかります。温度プローブをマドックス先生の耳につけて、「スクリーンには温度が下がるとそれが表示されます。」、「変化したのを感じましたか?」。マドックス先生は「はい。冷たい。冷たい」と。次に、反対の耳につけると、温度が下がったのが表示されたのですが、マドックス先生は何も感じませんでした。すると、医師は「コンピューターのリターン・キーを押してください」と言いました。15種のスプレッドシートが出てまいりまして、「あなたの血圧は同年齢の標準値よりも20%高くなっています」と伝えたのです。伝統医学にはいろいろ有益な効果があることを知っておりましたので、この結果を無視する気など全くありませんでした。西洋医学は長年否定してきましたが、鍼灸が非常に強力だということを私も知っています。つまり、私が言いたいのは伝統医学は効果がないということでなく、西洋医学の教育を受けながら、それを臨床の場で実践できないということなのです。

(次の写真)昨年、北朝鮮の心臓内科医達がクイックピース&サービス委員会の後援でボストンに来られました。そして、そこの内科医と共同で活動しました。パストーレ先生が医師と病院にプレゼントを寄付している写真です。5万USドル相当のセフロフロキシシン、抗生剤ですが、それから、教科書、ジャーナル、その他の薬、それから子供向けの栄養剤などを提供しました。同じ先生が病院の廊下で、エレベーターの傍ですが、イチョウの葉の乾燥方法を教えてくれているところです。

(次の写真)この写真は、ちょうど国境の少し手前ですね。韓国を見通すことができますし、人々の往来を妨害しているバリケードも見えます。そして、私たちがこれから入ろうとしている地域について、この将校が説明しているところです。(次の写真)真ん中の写真は、博物館にあるプラスチックの小さな箱で、中には朝鮮戦争終結時に調印された協定書が入っています。下は代表団の写真で、横路先生、マドックス先生、パストーレ先生、通訳、パストーレ夫人、それから私も写っています。

医学界、医学生向けのキャンペーン (Track -14)

さて、私たちは運動するに際し、三種類の人々に話しかける必要があります。医学界あるいは医師に、政策決定者に、そして一般市民に話しかけることが必要です。

(次のスライド)私たちのプロフィールを医学界で高めるために、私たちはキャンペーンをしています。医学部長に「核兵器に反対し、核廃絶を求めます」という非常に単純明快な文章に署名してもらうというものです。皆さんの医学部で用紙がお入用なら、ボストンの事務局から送るようにしますよ。次に、医師会からの署名を求める決議案があります。世界中の医師会にこの決議に署名して欲しいと思っています。そしたら記者会見を開いてこれだけの医師会が共同して核兵器に反対しているのだとPRしたいと思っています。それからホームページで医学生向けのプログラムを始めました。まず、医学生向けに、必要な教育材料、例えば「核兵器の背景」などを載せています。それから、医学生がこのテーマについてスピーチするときに写真が役立ちますから、コンピューターでダウンロードし、スライドやOHPを作成できるようにしています。特に、広島や長崎の写真を用意しています。

ドイツの医学生が「Clinics and More」(臨床研修+α)という新しいプログラムを始めました。これは交換プログラムで、ある国の医学生が別の国に行き、一ヶ月から六週間他の国の医師と一緒に昼間はGPであれ心臓内科であれ臨床を学び、夕方からはその医師と一緒にIPPNWの活動家としての仕事をするのです。多くの医学生が、ドイツから外国へ、外国からドイツへと双方向に行き来しました。私もターミナルケア、緩和ケアの分野で医学生を引き受けました。そして、路上のホームレスの人たち、特にエイズを患ったホームレスを相手に医療活動しているIPPNWの医師に協力していただきました。

最後に、10年前には積極的であった活動家達とネットワークを再構築する必要があります。彼らが今どこにいるかを探ね、再び活発に運動に加わってもらうことが重要です。

IPPNWは共同で後援して国際的な弁護士が書いたドキュメンタリーを出版しました。それは「核兵器廃絶条約」のモデルです。この本は、様々な国から出そうな「何故、核兵器廃止条約が実現できないのか」という議論と、それに対する弁護士の解答を載せています。非常に専門技術的な本で、相当な英語力がないと読めないと思いますので実物は持って来ませんでした。私は、英語は上手だと思いますが(笑い)、それでも読むのに苦労する本です。もし、この本をご希望でしたら、IPPNWの出版物の注文用紙をそこの机の上に置いておきますので・・・。

それから私が書いた論文「IPPNWの今後の方向」、英語ですが、これも置いておきますので、みなさん是非お持ち帰りください。

ただ一言「No Nukes ! 」 (Track -15)

一般の市民に声が届くように、私たちは非常に魅力的なキャンペーンを試みています。それは、人々の注意を引きつけ、人々が核兵器について話す時に持っている抵抗感を取り除くための工夫なのです。ひとつは、「No Nukes!(ノー・ニュークス)」キャンペーンです。このキャンペーンは、マレーシアの理事会の後で始めたのですが、その理事会では医師みんなが非常に意気消沈していました。三年前でした。「この運動を、もう20年もやって来ているんだよ!なのに、まだ勝利を収めていない」、「まだ、一般の市民を説得できない」、「問題があまりにも複雑だから、テレビで核廃絶について話してくれと頼まれた時、プルトニウムの移動だとか査察だとかいろんな話をしなきゃならない。そうしたら、テレビのクルーが『つまんない』と言ってカメラを止めてしまったんだよ」。それで「どうやればいいのだろう」、「もっと簡単に伝えられないだろうか」、「もう一度、一般の人に彼らが理解できる言葉で伝えられないものだろうか」と相談をしたのです。

その時、ある先生が「そんなこと難しくないんじゃない。私たちが言いたいことは、たった一つ『No Nukes!』でしょう。もし、『プルトニウムの移送についてどう考えているのか』と聞かれたら、『I said No Nukes!(核なんで要らないと言ったでしょう)』(訳者注:下線部が過去形であることに注意)と言えばよい。『原子力に、何でそんなに興味があるの』と聞かれたら、これも『No Nukes!』ですよ」と言ったので、みんなで大笑いしたんですよ。これがきっかけになって、見る人が余り深刻にならなくてすむようにユーモアを取り入れた新しいビデオが生まれました。核兵器は深刻な問題ですが、自分自身が深刻になることはありません。このビデオを皆さんに見ていただき、その後、どのようにこのビデオを活用しているかをご紹介します。

お断りしておきますが、このビデオは日本の文化には合わないかもしれません。皆さんは非常に礼儀正しい方ですが、これはそんなに礼儀正しいビデオではありません。このビデオは:「アイスクリーム食べたい」とせがむ子供に、お母さんが「アイスクリームは駄目!お夕食の時よ」と。でも、子供は「アイスクリームが食べたいよ」。「駄目よ。お食事はまだなんだから」。「でも、今すぐ食べたいよ」。「聞いてるの!お母さんの言ってること。アイスクリームは駄目って言ったでしょう」とまあこういった調子で、「あなた聞いてるの!ノー・ニュークスって言ったでしょう」というビデオなのです。では、ご覧下さい。

<VTR供覧> 以下はその内容

TVの画面でアシュホードさん:「今の世の中で市民の健康に対する最大の脅威は何かご存知でしょうか?」、「それは核戦争の脅威です」

ジョー・パブリックさん(40歳位のまじめな市民といった感じ。片手にマグカップ、片手にリモコンを持ちソファーでくつろぎながら、今TVのスィッチを入れたところ)、TVに向かって:「何言ってんだよォ。(反核の)デモはもう20年以上も前の話じゃないか。冷戦も終わったし。そんなことあるわけないよ」
TV(ア氏):「冷戦は終わりました。しかし、まだ世界には三万五千発にもおよぶ核爆弾があります。その内の五千発は(ボタン一つで)即発射可能な態勢を維持しています。アメリカもロシアもまだその警戒態勢を続ける政策をとっているのです。どういうことかといいますと、一方がもしミサイルを発射したら、そのミサイルが到着する前に、相手は何百・何千ものミサイルで報復するのです。偶発的な事故、コンピューターの誤作動、レーダーの読み違い、そのようなことで核のホロコーストがおきるかもしれないのです」
ジョー:「よせやぃ!ハイテクの時代だよ。どんな事故が起こるっていうの」
TV:「今までに何十回もニアミスが起きています。キューバ危機の時を思い出してください。次に起きた時こそ本当にこわいのです」
ジョー「オィ、そりゃー、核兵器なんて無くなった方がいぃよ。でもナ、テロリストはどうなんダ。CNNにでてくる気の狂ったリーダー達はどうなんダ。何か抑止するものも必要だろう?」
TV:「 軍の指導者達でさえ(核)抑止力は役に立たないと語っています。61名の(元)将軍や提督達が公の場で核兵器は世界の安全保障に役にたっていないと言っています」
TV(パイロット):「私はパイロットとして25年も核兵器を扱ってきました。一発で六十万もの人命を奪うことができるのです。この無差別的な怪物がテロリストを抑止できるだなんて考え方は狂気の沙汰ですヨ。バグダッドでは、テロリストに対抗するという名目で死の灰の恐怖を撒き散らしたではないか。これは狂気です。核兵器なんてどう考えても役に立つものではありません」
TV(ア氏):「核爆弾の後、医師にできることはほとんど何もありません。病院は破壊されてしまいます。そこに何十万人もの  な犠牲者がやって来るのです。新品の網包帯もない、消毒液もない、包帯もない、モルヒネもない、おまけに、きれいな水もないのですよ」
ジョー:「うん、言いたいことは分ったヨ。でも、一市民に何ができるんだ。近頃、皆な忙しいんだよ。家族もあるし、仕事もある。いろんな電話もかかって来るんだよ。鯨を救えだとか。腎臓を救えだとか、その上、まだ世界を救えって言うのかよ」
TV:「たいしたことをするわけではありません。声を出したら、その声は届くのです」
TV(カナダのロックスター):「30年以上も前に、私は核爆弾に反対してデモ行進しました。一体、何回「No Nukes!」と言ったら分かってもらえるのでしょうか」
TVで、アフリカの子供たち、カナダの上院議員、米国の上院議員、レスラー、などが「No Nukes!」、「No Nukes!」、「No Nukes!」、「No Nukes!」、「No Nukes!」、「No Nukes!」
ジョー:「俺も20年前には言ったんだよな。またもう一回言わなきゃならないようだね。みんな聞いてる?ぼくたちはノー・ニュークスって言ったんだよ。」
TV(スウェーデンのハウス先生がシャワーを浴びながら、歌):「I said No Nukes・・・・・・」

===ここまでビデオNo Nukes の内容===

(Track -17)
このビデオの目的は、ただ、この問題について関心を持ってもらうというだけです、特に若い人たちに。といいますのも、彼等は核兵器についてほとんど何も知りませんから。この(ビデオの中の)男の人に最後には好感を持った人もいれば、最後まで嫌いだった人もおり反応は様々でした。それはそれで良いのです。一日中、たとえシャワーを浴びている時でさえも、核兵器について考えている人々に関して話し合う機会を与えてくれるのです。

おわりに

 ビクター・フランクルは、彼は第2次世界大戦の最中には収容所に入れられていた精神科医ですが、「アウシュビッツは人類がこんなこともできるんだということを示し、広島(原爆)は人類が一歩間違えばどうなるかを明らかにした」と書いています。私達の活動の領域の広さにたじろぐこともありますが、私達には多くの仲間がいて、これまでの成果があります。この20年間私たちは、多様性に伴う強さと創造性に大いに敬意を払って、共に活動してきました。私たちの友情が意見の違い、財政困難や遠い距離を乗り越えてきました。私たちの共通の理想を実現しようという決意は、私たちに世界を変える意志と力を与えてくれます。

ありがとうございました。(大拍手)