第12回「核戦争に反対し、核兵器廃絶を求める
医師・医学者のつどい」への基調報告

 

世界の動き・・・・・・

  核兵器廃絶運動は、2000年5月の「核不拡散条約再検討会議」や、2000年11月の国連総会での「核兵器廃絶の明確な約束」など、2000年には核兵器廃絶へ向けての大きな国際的な前進がありましたが、21世紀最初の年である200 1年になって、1月にアメリカにブッシュ政権が誕生したことにより、アメリカの一極主義的グローバリズム(わかりやすく言い換えるとアメリカの利益を中心に世界をまとめていこうとする考え方)が、核兵器廃絶運動に逆流をもたらしています。

  具体的な逆流の動きとしては、臨界前核実験実施も15回に渡り、ミサイル防衛政策も強行しつつあること、そのために対弾道ミサイル防衛条約(ABM条約)にも抵触する事になり、ついに昨日これを離脱することを宣言したと報道されました。

  又、核実験全面禁止条約(CTBT)は、核爆発を伴う実験を全面的に禁止した条約ですが、アメリカはその批准を拒否し、条約の死文化を狙っています。

  こうしたアメリカの動きに対して日本の国連内でとっている行動も問題です。今年11月の国連第56回総会第一委員会で日本政府が提出した核廃絶決議案は、賛成124,棄権20,反対2で可決されたものの、昨年日本自らが提出した「CTBTの2003年までの発効」という期限を、アメリカに配慮して削除して提案しましたが、それでもCTBTを死文化しようと考えているアメリカに反対されて しまうという結果になりました。
  

  アメリカとロシアで戦略核兵器を3分の1に減らすと言っていますが、減ることについては歓迎すべき事ですが、ミサイル攻撃の精度を上げ核兵器使用も辞さないという政策はかわりありませんから、運動の手を抜くことができないのはいうまでもありません。

  アメリカは核兵器に関する条約だけでなく、生物化学兵器条約・地球温暖化防止のための京都議定書など少しでも自国の利害に反するところがあると、国際的な取り決めを実効の無いものにしてしまう行動が多くなり、第三世界だけでなく同盟国であるNATO加盟国からも批判が起こっています。

  核爆発を伴う兵器ではないものの、NATOが1999年に介入したコソボ紛争では、劣化ウラン弾がユーゴスラビアに対して用いられました。核兵器の非人道性という中には、爆弾投下後も年余に渡り人体への影響を持つ放射性物質を使用することも含まれています。破壊力があるからということで、放射性物質を戦闘行為に使用する事に関しては、反核医師の会としても関心をもって取り組む必要があるでしょう。

  9月11日にアメリカで起こった同時多発テロ事件については、テロ行為そのものはいかなる理由があろうとも反対の立場ですが、その後の報復戦争の中でビンラディンは「もしアメリカが化学兵器や核兵器を使用すれば、我々も化学兵器、核兵器で報復することを宣言する。我々はこうした兵器を抑止力として保有している」と述べていると、11月10日付けパキスタンの英字新聞で伝えられています。世界各地で、プルトニウム紛失事件なども起こっており、仮にビン・ラディンを捕縛又は抹殺したとしても核テロリズムの危険はなくならないでしょう。アメリカ自体が、戦争および紛争に勝つためには核兵器の使用も選択肢にあることを公言しています。

 インド・パキスタンの核保有に対しても経済制裁を解いてしまい、実施的には既に核兵器は全身転移してしまったに等しい状況になっており、核兵器廃絶の国際的世論作りが緊急の課題になったといえるでしょう。

 


日本の変化・・・・・・・・・

  この時期、日本においては、小渕・森内閣が、バブル崩壊後の経済建て直しに対して、何ら手だてが打てなかったということなどに対する反動から、その後に成立した小泉内閣に対して、白紙委任に近い支持率が続いています。

  しかし、反核・平和の立場から見ると、この内閣がこれまで行ってきたことは、平和憲法の理念を完全に無視した、戦争への道の整備ばかりです。

  テロ対策特別措置法、自衛隊法改正によって、自衛隊が周辺事態法の範囲さえ越えて世界中どこでも武力行使ができるようになりました。また、憲法では許されていない、「アメリカが戦争に参加すれば、安保条約で同盟国となっているのだから自分の国が攻撃されてもいないのに戦闘に参加していく、集団的自衛権」の行使も可能になりました。明らかな憲法違反です。

  しかし一方では、核兵器廃止・核戦争防止の国民の運動も進んでいます。各県での「非核の政府を求める会」を中心に「非核自治体宣言」運動が進み、現在全国で80%近い約2600の自治体が宣言しています。更に、「非核三原則法制化」や「核兵器全面禁止、核兵器廃絶国際条約の締結促進を求める意見書」が全国の議会で論議されていることは、私たちの運動を励ますものになっています。

  被爆者援護の面では、一昨年に松谷訴訟の勝利がありましたが、爆心から2.5km以上離れていると認定から除外されてしまうという問題点も残されています。今後も医学的な根拠に基づく検討を求めていく必要があります。現在日本に住んでいない在外被爆者への援護で戦われた大阪地裁で勝利判決が下りました。しかし、国が上告したため息の長い裁判闘争が強いられています。 約5000人と言われている在外被爆者の問題を、北東アジア地域の反核医師の交流を通して、実態を知り共に考えていく事が必要です。

 


反核医師の運動のこの1年・・・・・・・・・

 前回のつどいでは、組織としての反核医師の会の活動だけでなく、個人個人が、核戦争・核兵器に反対する意思表示をしようと呼びかけられました。誰でもが継続的に参加できるような、患者や仲間に問題提起できる方法で、反核の世論を作ろうという前回の「つどい」の決意はどのように実践されてきたのでしょうか?

   反核医師の会としてのHPが全国的に作られ始め、それまであった東京の他に、北海道・宮城・和歌山で活用されています。  この「つどい」としてもメーリングリストが設置されすでに100件以上の意見交換が行われています。まだ、参加している医師は限られていますが、誰でもが参加でき、日常的にタイムリーに意見交換できるこの形態は、これまでの署名やイベ ント参加でしか意思表示のチャンスが無かった人にとっては、一歩草の根的発展を見ることができたと思います。

  継続的な活動として、新聞発効などを通して北海道・宮城・千葉・東京・神奈川・新潟・石川・愛知・京都・ 和歌山・岡山・福岡の12の地域で定期的に情報提供を会員に対して行っています。継続することは困難も多いですが、運動体にとって重要な課題です。今後の更なる前進を追求していきたいと思います。

  この1年間で特筆すべき事は、反核医師の会独自に「平和教育テキスト」の作成が始まった事です。このテキストは、学生のみでなく市民の中に、この運動の理論的根拠を広げる有力な道具となるでしょう。この活用にあたって、各地域の医師の会の積極的な役割が期待されるところです。

  反核医師の会の独自の課題として、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)との関わりがあります。隔年開催の、北東アジア地域会議は、今年平壌開催という画期的な出来事となる予定でしたが、諸事情で中止となってしまいました。IPPNW日本支部を窓口とした準共同行動の機会でもあっただけに残念でした。北朝鮮にCDを贈るキャンペーンも一時中断となっています。

 

次年度への方針提起

  アフガニスタンへの攻撃にみられるように、「テロ対策」「正義」と名乗れば、何でもありという異常な現象が起こっています。当然、失うものが無い勢力も、核兵器を含めたどのような兵器の使用もありうる情勢が切迫したものになってきました。

  私たちの活動も、これまでの持続的な活動を続けると共に、いかにしたら一刻も早く、一人でも多くの医師・医学者・医学生達に共感を広げ、同時に核兵器廃絶・核戦争に反対する広範な人々と手を組んで、目的を達せるかを追求していきたいと考えます。

1)「平和教育テキスト」を活用し、反核平和の活動に医師のリーダーシップを発揮していきましょう。
    今年組織されたワーキンググループを中心に早期に完成させ、
   各県の反核医師の会がこのテキストを、大学などに持ち込み、最大限に活用していきましょう。
    この活動を通して、若い反核医師運動の担い手が多数生まれてくることを期待します。

2)会のイベント成功型の活動から、一人一人の反核の思いを日常的に高めていけるような意見交換を活発にしよう。
   2001年から開設されたホームページやメイリングリストを活用し、核兵器廃絶・
  核戦争反対の意見交換を活発化しよう。
   そのきっかけとなるようなメールマガジンを継続的に発行していきたいと考えています。

3)反核平和を求める、様々な組織、草の根運動とも手を組んで多様な企画を作っていきましょう。
   励まし合って、地域や日本や世界を実際に変えられるんだという展望がもてるような運動にしていきましょう。

4)被爆者から学びながら、被爆者医療を頑固に追求していきたいと思います。この問題と関連して、帰還したアメリカ兵などに放射線被曝の症状がでていないか、アメリカ国内の反核医師団体と情報交換することにも大きな関心をはらいたいと思います。

5)IPPNW日本支部はもちろん、南北朝鮮、中国の医師達と手を組んで、北東アジア非核地帯の実現に力をつくしましょう。

6)各地域の反核医師の会は、記者会見などマスコミを積極的に利用していきましょう。

 全国世話人会は、上記の方針やこの「つどい」に持ち寄られた意見をもとに各県の状況を把握しながら、時々の情勢にも機敏に対応して、この会の存在意義を会員が確信できるように、奮闘したいと考えています。
   

   2001年12月16日     第12回「つどい」実行委員会・常任世話人会