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第19回反核医師・医学者のつどいが開催されました

第19回核戦争に反対し、核兵器廃絶を求める医師・医学者のつどいin金沢が、22日、23日の2日間、石川県金沢市内で開催された。今回の「つどい」には、42都道府県から過去最高の572人が参加し、核兵器廃絶へ何ができるかを考え、討論しました。

 1日目の市民公開講演会では、ジャーナリストの堤未果氏が米国での同時多発テロの体験やその後の状況について話した。また、被爆者医療にとりくむ核戦争を防止する兵庫県医師の会の郷地秀夫先生が原爆症認定集団訴訟の支援活動などについて特別講演しました。

 2日目は、市民公開シンポジウムを開催。NPO法人ピースデポの梅林宏道氏、石川県原爆被災者友の会の西本多美子氏、映像作家の鎌仲ひとみ氏、いしかわ県民教育文化センター所長の金森俊明氏の4人のパネラーが、「核兵器廃絶をめざして 私たちができること」と題して、討論をおこないました。

 また、1日目の午前に、学生部会の発足集会が開催され、全国から32名の医学生が参加しました。また、午後の講演会の後、全体集会がおこなわれ、東京、神奈川、富山、石川、愛媛などから活動報告がおこなわれました。

〜〜1日目〜〜

学生部会が発足 医学生の思いを発信しよう

反核医師医学者のつどいの初日、医学生の立場で核廃絶に向けた活動を進める「学生部会」発足集会を開催し、34人の医学生が参加した。

記念講演では初代代表世話人で金沢市在住の莇昭三医師。莇医師は「戦争はいつの間にかやってきて、国民は戦争に参加させられ、320万人もの日本人が殺された」ことや731部隊をはじめとした「医学犯罪」について報告した。

学生部会では、代表に千葉大学医学部5年の奥野理奈さん、副代表には北海道大学医学部2年の高橋聡さんと長崎大学医学部3年の加山恵美奈さんを選出した。 

新代表の奥野さんは、「会の一員として今後はIPPNWや原水爆禁止世界大会をはじめとする国際的・全国的な集会への参加や、日常的に地域単位で反核・平和の取り組みにも積極的に関わり、メーリングリストを活用して、情報交換を行うこと」「被爆者の方の話を聞くことや、放射線被害に苦しむ方がどれだけいるか知ることなど、医学生ならではの特色をもった活動を考えていくこと」「反核・平和を求める各学生団体や世界の医学生とも積極的に交流すること」「一人でも多くの医学生が平和への思いを発信しながら、学びを深め、医学生が出来ることを考えながら一歩一歩がんばろう」などの発足宣言と活動方針を提案し、拍手で確認した。

◆平和な世界めざしてー市民ができること 堤未果氏が記念講演

1日目、『ルポ貧困大国アメリカ』の著者でジャーナリストの堤未果氏が、「平和な世界をめざして−市民ができること」と題して記念講演をおこなった。

堤氏はイラクの現状にもふれながら、「いま9条が世界から注目されている」とし、「イラクが最も欲しいものは平和憲法であり、自衛隊ではなく医療だ」と指摘。また、米国で急速に広がる貧困と格差の問題やオバマ新政権をどうみるかなどについて詳細に解明した。

そして堤氏は、市民ができることとして、民主主義を育てること、子どもたちや報道の自由を守ること、あきらめないことなどを提案。最後に、「人が行動するときというのは、感動したときと、自分に誇りを持ったとき」と参加者に大きな期待を込め講演を締めくくり、大きな拍手につつまれた。

☆参加者の感想より☆

○映画シッコを観て、堤さんの話しに共通するものがあるのではないかと思ってきたが、その通りだった。「なくしまっし核兵器」という、スローガンがとても心に響いた。9条が世界から注目されているというのはうれしい。(60代・女性)

○私自身は戦後生まれだが、着るものはなく、貧しかったので日常的に戦争がまわりにあったという感じだった。友人と「新しい憲法のはなし」を読み合わせ、9条だけではなく、25条や21条もしっかり読みたい。(50代・女性 金沢市内在住)

○オバマ氏の当選でチェンジがあるのかと思っていたが、必ずしもそうでもないということがわかった。表の政治の動きと、裏の動きをしっかり見ていかないと、だまされてしまう。大企業と政府が一体になって、国民を虜にするパターンは変わらない。堤さんの話は、それに対してどう立ち向かうのかという提案がありとても良かった。(医師)

○今まで日本に対して良いイメージなどなかったが、平和憲法を持っているのは、日本とコスタリカだけだと聞いて、日本人として誇らしい気持ちになった。また、日本の被爆者の方々が憎しみでなく、自ら生き証人として、同じ思いをさせたくないからと平和を訴えていることはすごいことだと思った。「人は感動したときに動く」と言っていたが、まさにそういう気分です。こういう問題に無関心でいてはいけないと思った。(医学生 大学3年)

◆医師として原爆認定集団訴訟を支援してきて 兵庫・郷地医師が特別講演

1日の特別講演では、核戦争を防止する兵庫県医師の会の運営委員である郷地秀夫医師が、「医師として原爆認定集団訴訟を支援してきて」をテーマに話した。

郷地医師は、医学の立場から被爆者を守るという観点が、原爆症認定訴訟に携わるまで欠如していたと述べた。

2003年に始まった原爆症認定制度改善を求める原爆症認定訴訟の第一次原告団9名の被爆者の陳述書と実際の話を聞く中で、彼らが原爆症に苦しむ被爆者である真実を知ったと述べた。以後、被爆や原爆に関する勉強を始め、本や資料を掻き集め原爆症とは何かを学ぶなかで、原爆症をとりまく問題として、@原爆症は過去の問題ではない、A科学的に明らかにされていない、B残留放射線の被曝はたいしたことがない、3点の誤りが日本社会のなかで正されることの重要性を指摘した。

国は集団訴訟で12連敗する中で、政治的判断により原爆症を認めた。しかし、私たちは、被爆者原爆症認定に対して、もっと主張をしなければ国側が「原爆症認定基準を10倍にした」ことに騙されてしまうと、危機意識を持つ重要性を強調した。

郷地氏は、被爆者が訴訟で訴えていることは、@私たちの子供たちのため、A私たち自身のため、B私たちの地球のため、C人間の力を信じて、D平和を求めての5点だと述べ、二度と被爆者を生まないために訴訟に取り組んでいる実態を報告した。

最後に、医師の立場で、反核平和を希求する心・魂・情熱をもって、原爆症認定訴訟の運動を引きつがなければならないと述べ、講演を締めくくった。

講演聞いた千葉大学4年の奥野理奈さんは、千葉の原爆症認定訴訟を傍聴した時の感想を含め、認定については数字での判断など基準の押し付けではなく、原告個人が辿ってきた生活を見るべきなどと感想を述べた。

◆全体会 情勢にこたえ、よりいっそう発展をさせよう

 山上紘志代表世話人より基調報告(←クリック)がされた。冒頭「地球上の過半数超の自治体が平和市長会議の活動を支持し、190カ国が核不拡散条約・非核兵器地帯に批准」していることを紹介した秋葉忠利広島市長の発言を紹介。地球規模で、核兵器廃絶を求める声が圧倒的多数派であることが強調された。そうした流れに逆行し、あくまで対米追従をつらぬく日本政府に対し「被爆国として、いまほど核兵器のすみやかな廃絶を迫ることが求められているときはありません」と訴え、32体、個人278人(29県)にひろがった反核医師の会について、より共同連帯を強め多彩な活動にとりくむことがよびかけられた。

 第18回IPPNW世界大会(インド・デリー)については、呉林秀崇医師(石川・城北病院)が参加報告。国境を越えて、志を共にする仲間との交流に、深い感銘を受けたことなど含め、現地で見聞した様子が生きいきと感動的に報告された。

 各地の取り組みとしては、東京・神奈川・富山・石川・愛媛より、活動報告をうけ、最後に「北陸から発信するICAN―なくしまっし核兵器」アピールを満場一致で採択した。

 また、全体会終了後、レセプションが開催され、和やかに懇談した。このレセプションでは、鹿児島県の代表から、来年度のつどいは鹿児島で開催することが報告され、大きな拍手に包まれた。
 

〜〜2日目〜〜

◆市民公開シンポジウム 核兵器廃絶をめざして――私たちができること

 つどい2日目は「核兵器廃絶をめざして−私たちができること 核兵器こそ人類の敵」と題したシンポジウムを開幕した。

第一部では、4人のパネラーが、それぞれの立場から核兵器の過去と現状についての報告した。

石川県原爆被災者友の会事務局長の西本多美子氏は当時、四歳だった西本さんが間一髪のところで助かり母親と一緒に逃惑った広島での被爆体験を報告。

続いてNPOピースデポの梅林宏道氏が、核兵器について科学的にどういうものなのかという説明。広島に投下された原爆の場合、爆発の100万分の1秒後にはすでに5万人以上が即死していたとし、「核兵器を政治の手段として使うことの卑劣性」を指摘した。

映像作家で、『六ヶ所村ラプソディー』の製作者である鎌仲ひとみ氏は、青森県の六ヶ所村再処理工場から垂れ流される放射能の実態と内部被爆の脅威について報告。

いしかわ県教育センター所長の金森俊朗氏は、教育者の立場から被爆体験を子どもに語り継ぐ運動の実践を語った。

第2部では、運動の現状と未来への希望について討論をおこなった。梅林氏は「東アジア非核化構想」を語り、「世界に広がる非核化地域が、これからの地球を守るひとつのキーワードとなるだろう」と述べた。金森氏は、子どもは、たとえ醜くても本当の歴史や真実を知りたがっており、決して歴史を歪曲してはならないことを、沖縄での歴史教科書問題に対する高校生の発言を借りて語った。また、西本氏は被爆者認定について、内部被爆そのものを認めようとしない日本の現状を鋭く指摘。国民の支援を得た被爆者認定訴訟、被爆体験の継承を課題とした。鎌仲氏はエネルギーの作り方ではなく、使い方を考えるべきで、「脱原発社会への取り組みこそが人類が生き残る道」と指摘した。

市民公開シンポジウム後開かれた閉会集会では、今大会が過去最多の372人の参加があった報告され大きな拍手に包まれた。また集会では、「核兵器廃絶へ 一人ひとりができることからはじよう」とするアピール(←クリックが採択された。その後、オプション企画「兼六園平和散策と昼食会」がおこなわれた。